昭和20年代の後半から50年頃まで、20年以上にわたり、
「天地奇術」という奇術材料販売会社があったのを覚えておられる方もいると思います。
創業者の名前は「天地創一」、まるで「天地創造」と「天下一品」、
あるいは日本近代奇術の父「天一」を合わせたような壮大な名前です。
当時は既に奇術用具で天洋(後のテンヨー)、JMA(日本奇術連盟)、
力書房の主要三社があり、天地はそれらに続く一番の後発でした。
「天地創一」の本名は岡本健司氏で、北海道・札幌に戦前からあった
奇術材料販売会社の天暁(てんぎょう)魔奇術研究所
(主宰・勇崎天暁・・・松旭斎天暁師とは別人)で、戦後しばらく通信販売を担当した後、
独立して札幌市南7条西9丁目に天地奇術社を開業、上京して昭和27年(1952)から
「天地」の名で独自の奇術用具の販売を始めました(①)。
東京では当初、目黒区碑文谷、後に渋谷区八幡通りに店を構え、最盛期の昭和36年頃には、
札幌・今井丸井、仙台・丸光、山形・大沼、東京・大丸、日本橋白木屋、高島屋、有楽町そごう、
銀座松坂屋、浅草松屋、池袋丸物、川崎さいか屋、横浜高島屋、甲府中込、大阪そごう、
上六近鉄、神戸大丸、三宮そごう、博多大丸の各デパートで、
販売員(ディーラー)を置いて全国で実演販売をしていました。
私も中学生の頃、郷里札幌の今井丸井の天地売場に日参し、友人のN君(後に一時期プロマジシャンの後見となる)と一緒に、販売員の須藤博美さん(ステージ名・北海晃祐師)からマジックの手ほどきを受けたものです(札幌には他にも、三越に天洋、駅のステーションデパート地下にJMAの売場があり、それぞれ販売員がいましたが、見るばかりで道具を買わない子供に対して天地の須藤さんが一番親切でした)。
当初は他社の奇術用具と同様の品物(②)が中心でしたが、次第に「不落の水」(③-金属コップに注いだ水が逆さまにしても落ちない)など天地独自のオリジナル商品の販売に力を入れ、材料をプラスチック製にした「ジニー・チューブ」(④-空の円筒からのハンカチ、テープの取り出し)などのカラフルな道具を販売して人気を博しました。
② 左上から右下に「消えゆくハンカチーフ」「小さくなる玉」 「謎の予言」「小さくなるトランプ」「飛出すエース」 「ふしぎな壺」「煙草の幻影」「ペーパーカット」 |
③「不落の水」 |
④プラスチック製のカラフルな「ジニー・チューブ」 (通常は金属製が多い) |
天地はなかなかのアイデアマンで、奇術界の情報や新製品を紹介した「天地ニュース」(⑤)や 「マジックタイムス」(⑥)をデパートの奇術用具売場で配って宣伝するなど、 他社とは一味違った販売促進を行っていました。
⑤ 「天地ニュース」創刊号(昭和36年3月発行) -ファンカードを演じる天地創一 |
⑥ 「マジックタイムス」第7号(昭和36年9月発行) 「チャニング・ポーロック来日」 の記事 |
「天地の奇術解説書は絵が多く、説明が丁寧でよく出来ている」(⑦)とは、 有名な奇術研究家の高木重朗氏から生前に直接聞いた言葉です。 今と違ってビデオやDVDが無い時代でしたので、奇術用具を買っても、 その演じ方は売場の販売員から手ほどきを受けるか、用具の使い方を知っている奇術愛好家に聞くか、地方にいる購入者の場合は奇術解説書を見ながら習得するしかなかったのです。
⑦「小さくなるトランプ」の図解入り指導書 |
営業は昭和50年頃まで続きましたが、やがて販売を中止、道具の多くはトリックスなどに引き取られました。数年前に東京駅八重洲のトリックス(現在は閉店)で、天地の在庫品(新品)が売られたことがあります。
天地創一(岡本氏)はその後、いくつかの職業につき、最後は北海道に帰られたとの噂がありますが消息は分っていません。マジックの世界から忽然と消えた退場の仕方もどこか魔術師的でありました。ご存命なら現在90歳ぐらいでしょう。
「天地奇術」はなくなってしまいましたが、
日本の奇術界に確固たる足跡を残したことは間違いありません。
「天地」のディーラーから多くの著名なプロマジシャンが輩出しています。