日本で最も伝統のあるアマチュア奇術クラブの一つに東京アマチュア・マジシャンズクラブ(TAMC)があります。創立は昭和8年(1933)ですので、今年は80周年にあたります。現在までの19代の会長の中で、2度会長職(第5代・7代)についた人が坂本種芳氏(1898~1988、以下敬称略)です。もともとは鉄道省の技師でしたが、熱心な奇術愛好家であり研究家でした。
戦時下の昭和18年に名著「奇術の世界」(①)を出版、昭和21年には天城勝彦のペンネームで「ABRA KADABRA 魔術」と改題し、翌22年に「定本-奇術全書」、30年には原題の「奇術の世界」(いずれも力書房刊)の名で、内容を一新して発行しています。天城勝彦のペンネームは有名な「天(てん)勝(かつ)」(初代松旭斎天勝)の名をはめ込んだものとは、ご子息の坂本圭史氏(TAMC18代会長)からうかがった話です。坂本はアマチュアながら合計17冊の奇術書を発刊しています。また米国の有名なスフィンクス賞を受賞した「香炉と紐」、「水呑新聞紙」や「電気箸」、「復活するハンカチーフ」など多くの創作奇術を考案しました。
① 「奇術の世界」の中表紙 (昭和18年・力書房刊、右下は「香炉と紐」の図) |
その坂本と天勝をつなぐ珍しい写真があります。昭和9年(1934)3月24日に新橋演舞場での天勝引退披露特別大興行をTAMC会員が総見、その返礼として同年5月20日の浅草松竹座での天勝一座の興行に、同会員たちが招待されました(②)。その日の演目に天勝お得意の水芸がありました。天勝は浦島太郎の扮装で出演したのですが、楽屋を訪れた坂本が下衣装をつけたままの天勝の写真をパチリと撮っています。天勝のチョンマゲ姿も面白いですが、何と天勝が水送りのゴム管の仕掛けを背中に背負っているのが、後方の大姿見に写っているではありませんか(③)! 坂本はこの1枚がことのほか自慢で、「この写真は貴重なものだ」と言ってマジック仲間によく見せていたそうです。
②浅草松竹座の楽屋(前列右・緒方知三郎・TAMC、左・小木志郎・同、 中列・右から2人目・天勝、後列、右から英国人ジョイス-TAMC創立メンバーの一人で石油会社員、 和田六郎、山田治作・TAMC、石井武一・同) |
③天勝水芸出演直前の身支度風景 (後ろの姿見の鏡に天勝が水芸のゴム管の仕掛けを背負っているのが映っている-②、③共に坂本写す) |
④、⑤は昭和14年(1939)2月、同氏が門司鉄道局設備課長として単身赴任する際の東京駅駅頭の写真です。TAMCや仕事の仲間、家族にまじって見送りに来た天勝の姿が写っています。当時のTAMCは緒方知三郎をはじめ各界のそうそうたる名士を擁したアマチュアマジック界の中心的存在で、天勝との交流も浅からぬものがありました。昭和9年(1934)2月のTAMC第1回奇術試演大会(神田医師会館ホール、来場者800名)では、天勝が最前列に座を占めて終始微笑して見物、TAMCの例会にも度々訪れて愛嬌を振りまいていたとのことです。
④東京駅に見送りにきたメガネを掛けた天勝(左)、坂本種芳(中央)、 小木志郎(右・TAMC、鉄道局) |
⑤東京駅駅頭、坂本(右)、その前の子供(坂本圭史)、池田三三雄(坂本の左、TAMC、会社役員)、 上原浦太郎(帽子を手に持っている、同、文化情報局理事長、戦後・国際素人奇術倶楽部会長)、 その右後方(顔だけ、同、木村義雄・将棋名人)、山川幸夫(上原の左、同、会社員) |
天勝は昭和19年(1944)に60歳で亡くなります。しかし坂本と天勝の縁は続き、昭和27年(1952)10月、越路吹雪主演の帝劇ミュージカル「天一と天勝」では、盟友柳沢よしたね(TAMC)が実演した空中浮揚の奇術で、坂本が演出を担当しています(⑥)。
⑥「天一と天勝」で空中浮揚を演じる柳沢よしたね(坂本種芳演出)
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