坂本圭史

阿部徳蔵氏と名著“とらんぷ”

 阿部徳蔵と言う奇術研究家をご存知だろうか?
昭和の初期、全財産をマジックの研究に投じてマジックの社会的地位の向上に生涯を捧げた我が国最高の奇術研究家。 TAMC第2代の会長でもあった。

 それにも拘らずその名が後世にそれほど残らなかったのは次の様な理由があった。
昭和の初期、阿部さんは天覧マジックの栄に浴し、「荷造箱変化鑑」と言うタイトルのイリュージョンを創作して演じて大変、好評を博した。
大変なお役目を果した阿部さんは大いに感激してこの時を期して「報酬を受ける奇術は生涯やるまい」と心に期し、そればかりではなく天覧奇術の顛末は「一切書くまい」「口にすまい」と心に誓って生涯それを貫いて来た。

 その為、「そのイリュージョンの原点はハリー・フディニの脱出にヒントを得た阿部さんの創作である・・・」と言う事が、世間では知られないまま、これまでこれに似たものが様々な形で様々な人によって演じられてきた。

 そこで筆者は、阿部さんの足跡を偲び平成21年のTAMC第64回マジック発表会でその背景をプロジェクターで写真解説しつつ、そのイリュージョンを再現する事を計画し実現した。

 阿部さんの本業は著述業と言われているが作品は極めて寡作であった。
その中の1つに“とらんぷ”と言う名著が残されている。
それはマジック マニアの間では大変高い評価を受けている。

 その内容は単にトランプマジックやゲームを記述に止まらず、全体を
 ① 研究篇  ② 技術篇
に分け、トランプの起源に始まり、歴史的変化、占い術、詐術の歴史、世界各国のトランプの変化、その他トランプ随筆など、他に類を見ない“トランプに関する学術書”と言っても良い名著である。

写真1 阿部徳蔵著 とらんぷ 238貢 A5変型判
写真1 阿部徳蔵著 とらんぷ 238貢 A5変型判
写真2 著作内20ページ目<br />【スペード(剣)、クラブ(棍棒)、ハート(洋盃)、ダイヤ(貨幣)のデザイン原型】
写真2 著作内20ページ目
【スペード(剣)、クラブ(棍棒)、ハート(洋盃)、
ダイヤ(貨幣)のデザイン原型】

 戦前、洋書の輸入もままならぬ時代、丸善に奇術関係の書籍が輸入されると、他の人に見られないように阿部さんがすべて買い上げてしまった・・・と言う話を聞いた事がある。
今では考えられない事であり時代の変化を強く感じる。

 阿部さんは昭和19年、56歳の若さで他界した。
残された蔵書は第二次世界大戦の戦火から免れるため、父が引き継いだ事など・・・の経緯は文豪 谷崎潤一郎著「3つの場合」の中の随筆“阿部さんの場合”に詳しく記述されている。

写真3 文豪 谷崎潤一郎著 「3つの場合」
写真3 文豪 谷崎潤一郎著 「3つの場合」
写真4 阿部氏の署名
写真4 阿部氏の署名

写真5 阿部徳蔵氏の蔵書を引き継いだ坂本種芳氏
写真5 阿部徳蔵氏の蔵書を引き継いだ坂本種芳氏

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