松山光伸

手品の源流と伝達ルートを考える
―「ライス・ボウル」(1) ―

 多くの手品は、中国、インド、エジプトなどに源流があると一般的に言われて久しい。例えば、バスケットに入った美女が忽然と消え再び現れる「インディアン・バスケット」や、種から若木が伸びて実を結ぶ「マンゴーの木のトリック」はインドに起源があるといわれている。「カップと玉」に至っては古代エジプトに遡るとの説について議論が交わされるといった具合だ。手品の歴史を追っかけていくと、いつかはそういった根源的なところが気になってくる。 ところがこの分野は世界の手品史研究家の間でもほとんど手が付けられていない。信頼できる裏付け資料が少なく、どうしても想像の域を出ないからだ。それぞれの地域の研究家が史料を持ち寄って精査すれば少しずつは解明されていくものと期待したいところであるが、肝心の中国やインドなどに歴史的な文献等がほとんど残っていないともいわれ、この分野は大きな謎として残されている。 ともあれ、ロマンに満ちた分野だけに想像をめぐらすことはとても楽しい。幸い日本には古い文献が比較的多く残されている。地道に事例研究を積み重ねていけば何か見えてくるに違いない。「千里の道も一歩から」だ。

ライス・ボウルはインドが起源か

 ライス・ボウル(Rice Bowls)というのは、最近ではあまり見られなくなってしまったがその現象を簡単におさらいしておこう。 これには大き目のボウル(広口のカップ)を2つ使う。双方とも空であることを示したのち、一方にお米を溢れるように入れる。山盛りになった部分を「摺り切り」に平らにして、もう一つのボウルを逆さまにして双方の口と口が合わさるようにかぶせ、これを一緒に取り上げて、しばし揺すっておまじないをかける。しかるのちテーブルに置き、やおら上のボウルを持ち上げると、お米は溢れるようにこぼれ出てくる。いつの間にか増えているのである。改めて山盛りの部分を平らにして、再度ボウルを重ね、おまじないをかけると今度は何と水が溢れ出てくるのである。 チャーリー・ミラーが昭和46年に来日した時にこれを演じ、それをきっかけに、この手品の素晴らしさが再認識され日本でも一時期テンヨーから売られていたが、残念なことに現在は製造中止になっている。

ライス・ボウル


 さて、このライス・ボウルであるが、西洋における通説としてはインドが起源とされている。 元をたどっていくと、プロフェッサー・ホフマンが氏のMagical Titbits (1911) の中でそのことを語っている。ここではこの手品をライス・ボウルといわずに “The Rice and Water Trick” と説明しているが、そこには次のように書かれている。

この手品は「中国のライス・ボウル」と言われているが、どうやらそれは誤りで、インドの手品師が得意芸にしていたものである。地域によっても容器の形や演じ方に違いがあったようだ。


 ここで若干引っかかるのはボウルという言葉である。日本ではご飯はお茶碗に盛って手にして食べる習慣があるため、ライスと茶碗を組み合わせた手品が出来上がるのは自然の成り行きに思えるが、インドでは茹でたり炒め炊きした米を皿に盛り、各自の皿に取り分けてから手で食べるのが昔から一般的な食べ方であって、いわゆる「ご飯茶碗」のようなものを使う習慣はほとんどないからだ。 インド起源説に疑問を感じる点は他にもある。1つの茶碗(或いはボウル)にもう一つの茶碗を逆さに重ね、その状態で一緒に取り上げて振ったあと、上の茶碗をどけるとそこから「何か」が出てくるという現象は、実は中国にも日本にも1800年代には存在している。そして、それらを比較してみるとライス・ボウルの発展経緯が見えてくる。

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