数学遊戯とか数理トリックというと「面白くない」と敬遠する人は少なくない。数学やパズルが好きでない人から見ると、これらは視覚的にインパクトの少ない地味な分野と映るからだろう。とはいえ、デビッド・カッパーフィールドやワン・タマリッツといったプロマジシャンも巧みな演出でレパートリーに取り入れており工夫の余地は多いはずだ。これに関連し、トランプ奇術で最初に次のような話をするととても効果的なことを紹介しておきたい。
「カードは我々の毎日の営みに大きく影響を与えていることを知っていますか。例えば、カードが表す数字を全部合計すると364で、ジョーカーを1として加えると一年間の日数になっているんです。また、それぞれの種類が13枚というのもカードが作られた太陰暦の時代の13ヵ月に合わせてあるなど暦を占えるようにもなっています。四種類あるのは春夏秋冬の四季を意味しますし、合計52枚というのは年間の週の数です。もちろん赤と黒は、昼と夜を示しています。」
この話は英米ではSoldier's Prayer Book(兵士が手にした祈りの書)という逸話として知られ、その初見は1776年の雑誌に遡るが(注1)、このような話を導入部に使うとカード手品というものに対するお客さんの心象は随分と変わってくる。「数字・数学・文字といった記号性の高いもの」を扱う場合、そこにミステリーやストーリーを組み込むと見違えるほど魅力的なものになるというわけだ。無味乾燥になりがちな数学遊戯や数理手品の分野ではとても重要なことだろう。マーチン・ガードナーはサイエンティフィック・アメリカン誌でこのような話をアチコチに散りばめ読者の興味を引きつけていた。
そんな彼の話の中で特に注目されたのはメイトリクス博士という人物の登場である。謎に包まれた神出鬼没の老紳士メイトリクス博士が東洋風の美しい娘と行動にしながら数秘術などを駆使した不思議な世界をガードナーに紹介するというノンフィクション風の読物である。またメイトリクス博士は若い頃テンカイという日本人手品師の助手だったという話になっており、このことからガードナーが石田天海を親しく感じていたことも分かってくる(注2)。
ここではメイトリクス博士の数秘術を一つだけ紹介しておこう。全く関連のないと思われる二つの事象が、実は運命であるかのように強く結びついたものだったという話である。それは博士からもたらされたもので、アメリカの政治史上最も劇的で悲劇的な事件とされるアブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)とジョン・フィッツジェラルド・ケネディ(John Fitzgerald Kennedy)の暗殺という2つの事件が余りにも多くの数秘術的な類似点を持つという指摘である。いわく、
この驚くべき類似性はケネディが暗殺された1963年11月22日の一週間後にメイトリクス博士からガードナーに伝えられ、それが徐々に広まって、様々な新聞や雑誌にも取り上げられることになった有名な話である。架空の話ではない2つの史実に基づく話だけに、空恐ろしい程の符合である。
数理マジックはつまらないという印象を持っている人でも、一致現象を演ずる際に、この種の話を前ふりとして導入すると客の視線が全く違ったものとなるのに気付くだろう。手品にはドラマが最も重要な要素であることを再認識させられるはずだ(注3)。
ガードナーのファンは各分野にまたがってとても多い。ただどのガードナー評もピンと来ないのは何故だろう。きっとどれもがそれぞれの興味ある分野に照らしてその素晴らしさを謳っているようにしか見えないからだと思う。
私の見るところ、ガードナーは少年が手品の虜になるのと同じように、科学・数学・物理・芸術といった広範な分野で、それまでの常識から離れた不思議で知性を揺すぶられるような新しい動きに接するたびに、その持ち前の好奇心をもってその仕組みを探求し、自分のものとして咀嚼してきたように思う。そしてそれらをマジカルでエンターテイニングな方法で解説することによって、読者にも氏と同じようにその驚きと楽しみを感じ取ってもらいたいと願っていたのではないだろうか。
一方、氏の穏やかな眼差しや物腰からは控え目で折り目正しい人柄がうかがわれ、実際、誰に対しても終生偉ぶるようなことは見られなかった。これはCSICOP(超常現象に疑念を掲げる活動)のような世間の耳目を集める活動にかかわった際にも変わることがなく、メディアでのパフォーマンスはジェームズ・ランディに託し、自らは活動の支柱としての役割を担ったのである。
そんなガードナーとはサイエンティフィック・アメリカン誌の一読者として投稿を取り上げてもらったのがきっかけになって、以降40年にわたって接してもらうことが出来た。そんなガードナーには学ぶことがとても多く、私にとっては不世出の巨人としていつまでも心に刻まれているのである。
注1: この逸話のあらすじは、Richard Middletonという名の兵士が教会での礼拝のたびに聖書ではなくカードを手にして広げていたことを見咎められ、教会に対する冒涜として尋問を受ける話である。これに対し彼は「カード」は聖書や暦に密接に関係して作られたものであるとして一枚一枚のカードの謂れを説明し、冒頭のような暦との関連にも触れたあげく「カードは私にとっては聖書であり、暦であり、礼拝の書でもあるのです」と言ってむしろ褒められるというものである。
注2: テンカイ(Tenkai)という手品師以外に、ミツマツ博士(Dr. Mitsu Matsu)という人物も時々出現させた。例えば「スフインクスの謎」(Riddles of the Sphinx)と題するパズル本などに遺伝子工学の専門家として出てくるが、これも遊び心に裏打ちされた氏の演出である。
注3: メイトリクス博士の話は22篇の全てが ”The Magic Numbers of Dr. Matrix”として1985年に単行本にまとめられた。この内14篇の和訳が『メイトリックス博士の驚異の数秘術』として1978年に紀伊国屋書店から出ている。