マーチン・ガードナーの熱烈なファンはとても多い。中には「彼の著作はすべて持っている」と言う人もいるが、日本では単行本で20冊程度は優に市販され、それ以外に「サイエンス」誌から抜き出した別冊もかなりの数が出版されている。英語圏では子供向けのパズル本なども数多く出されている。
当然、書店売りのガードナーの著作をすべて入手している人がいても不思議ではないが、現実に全部持っている人がいるとは考えにくい。というのもマジックに関する著作となると、一般向けに市販されているのはごく一部で、奇術専門誌に掲載されたのがほとんどだからである。例えば、Martin Gardner Presents(Kaufman and Greenberg, 1993)という本の巻末に、マジックに関してそれまでガードナーが寄稿した記事がリストアップされているが、それを眺めるとこのことは一目瞭然である。その一覧は、一般向けのものを除いても14ページに及んでいるが、それらはマジシャンが直接出版元から購入するか、マジックディーラー経由で入手しなければならない専門誌への寄稿だからである。このことは、氏が一般向けにマジックを解説するのはマレだったことを物語っており、彼の奇術観が伺い知れる。
実際、ガードナーとのやりとりをする中で、氏がどのように一般誌と奇術誌に書き分けていたか知ることになった。それは「あなたのトリックを誌面で使わせてもらった」と連絡を受ける都度、氏の仕分け方を目にしてきたからである。サイエンティフィック・アメリカン誌に記事が出たのは2、3回であったが、それらは確かに一般読者向けのベーシックなものばかりだった。それに対し、手品性や演出性の高いものについては、カール・ファルブス(Karl Fulves)が刊行していたリグマロール(Rigmarole)やバーベイタム(Verbatim)、ジェフ・バズビー(Jeff Busby)のエポプティカ(Epoptica)やアーケイン(Arcane)、スタン・アレン(Stan Allen)のマジック(MAGIC)誌というように、奇術愛好家向けに奇術家自身が編集発行している誌面だけを選ぶなど、内容の性質に応じて適宜注意深く振り分けていた。
M. ガードナーが著したマジック関連の膨大な寄稿記事(単独で出した書籍やブックレットは除く)の多くは2冊に集約されている。 初期のパズル的なものやジョーク性の高いものは ”Encyclopedia of Impromptu Magic” (Magic Inc., 1978)という大冊にまとめられていて、それ以外は 上述した“Martin Gardner Presents (1993)”に数多く収録されている。このうち後者は「マーチン・ガードナー・マジックの全て」の名で日本語訳(上下2分冊、東京堂出版、1999/2002)が出ているのでぜひ手にしてもらいたい。 また、それ以降の未収録であったものも、この秋(2015年11月)に”Impromptu”のタイトルで発刊になった。
マジックに関する二冊の著作集 |
Impromptu(2015刊) |
彼の著作活動はサイエンティフィック・アメリカンの連載が1986年で終了したあとも活発に続くが、多くのパズリスト、数学者、マジシャンにとってはそれまでの接点が失われる結果となり、リタイヤしたような感があった。そんなガードナーをようやく引っ張り出し、彼をゲストとする定例の集まりを開くことになったのは1993年1月のことであった。これがその後隔年で催されるようになったG4G(Gathering For Gardner)の一回目である。ところが実際にガ-ドナーがG4Gに出席したのは最初の2回にすぎなかったとされている。シャイなため人前に出ることを好まなかったと伝えられているが、実際はどうだったのであろうか。愛着のあった機知に富んだマジックがG4Gでは話題になりにくかったような印象があるため、実際には彼がイメージしていたものとは少し違ったものになっていたようにも感じ取れる。
そんな彼の最後の著作は、”Gibecière”誌(Conjuring Arts Research Centerの機関誌, vol. 5, no.1, 2010/3刊) に寄稿した ”The World’s Second-Best Spelling Trick”だったようだ(注)。亡くなる前々月の刊行である。最後まで手品に深い愛着を持っていたことが伺われるエピソードである。
ガードナーの記事が素晴らしかった要因は、テーマの選択眼とその切り口にあった。その語り口は、決して自分が前面に出るのでなく、他の人による興味深いアイデアや発見をその創案者の名とともに取り上げ、読者の知的興味を引き起こすようにリクレーショナルな味付けをして解説するというものである。これはマジックやパズルに通じている人なら誰でもできるというようなものではない。実は、彼は自分自身をジャーナリストと称していたが、そのこととこの文章スタイルとは無関係ではなかった。
ジャーナリストの基本は事実を伝えることであって、いたずらに書き手自身の文才や自慢を感じさせるものであってはならないが、そのことはマジックにも通じるものがある。すなわち、マジックも主役は現象自体であって演者はそれを効果的に提示する名脇役の立場に過ぎないのであるが、ともすると演者自体が目立とうとする演出になりがちな危険をはらんでいる。プロ手品師にとってはここのバランスをどうとるかが一番難しい部分なのである。ガードナー自身はマジックで舞台に立つことはなかったが、それはジャーナリストとしてピンとくるものがなかったからに違いない。
また一般のマジック本の場合、解説されている多くのものが他のマジシャンの作品に若干変化をつけただけに過ぎないものがよく見受けられる。その際、参考にしたものを示さずに、すべて著者の創案であるかのように書く傾向もあったことから、評判を得るどころか仲間うちの信用を失うことすら散見された。ところが、ガードナーの場合は原理的に面白いアイデアを創案者のクレジットを付けてとりあげるので、多くの優れたアイデアが彼の元に集まることとなり、ますます記事の厚みが増すという結果になった。あれから20年、現在では多くのマジック本で著者が参考にした先人の作品や書籍などを記すやり方が見られるようになってきたが、これもガードナーの解説のスタイルが支持を得てきた結果と考えることが出来るのではないだろうか。
注: この記事ではハワード・アダムスが見つけたRamasee Principleという原理を使った一致現象について、その発展の歴史を解説している。ちなみにガードナーがベストと考えたのはジム・スタインメーヤーのNine-Card Trickである。