話は、私の少年期にまで遡ります。
ある日海外の映画書籍をパラパラとめくっていると、一枚の写真に目が留まりました。きちんと燕尾服を着こなしている細身の男性が、手にしたハンカチーフから一羽の鳩を取り出している、というありふれた写真なのですが、奇妙なことに、鳩を出すその男性の頭部もまた鳩なのです。キャプションからそれが、‘Judex’なる映画の一場面であることは分かるのですが、それ以上の説明がありません。これは例えば、「ハエ男の恐怖(TV)」や「恐怖のワニ人間(TV)」のようなSFホラー映画なのでしょうか?しかしそれにしては、悠然とマジックを演じているのはあまりに妙です。また、鳩を出す男もまた鳩、という設定には、例えば泡坂妻夫作品「人間動物園」のような、何か確固たる作者の意図を感じます。
大人の今ならば例えば“シュールなイメージ”といった紋切り型の表現で自分を納得させ、頭の隅に無理矢理押し込めるのでしょうが、そのような技術を持ち合わせない少年時代の私の脳裏には、その不思議な違和感が以来ずっとこびりついて離れませんでした。
アメリカ・クライテリオン版DVDパッケージと劇中シーン
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その後年を経て、少しずつ映画‘Judex’のことが分かってきました。日本未公開ですが、「ジュデックス(ビデオ)」のタイトルで20年以上前にVHSのみ発売されています。私を驚かせたのは、以下の二つの事実です。
劇中シーン
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まず、鳩出しを演じる写真の男性は、他ならぬチャニング・ポロック本人です。次に、この映画の監督は、かのジョルジュ・フランジュなのです。
ポロックについては、もはや説明不要でしょう。記録映画「ヨーロッパの夜」の鳩出しの演技で一躍マジック界のスターとなり、その後映画俳優に転向して、「怪盗ロカンボール」等四本の劇映画に主演、この「ジュデックス(ビデオ)」も、その内の1本です。また「西部の勇者ダニエル・ブーン(TV)」「ボナンザ(TV)」等数本のテレビドラマにゲスト出演しました。
劇中シーン
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説明を要するのはフランジュの方です。劇映画の監督としてはたいへん寡作ですが、その内唯一の日本公開作品、「顔のない眼」で、今にその名を残します。もう一度よくタイトルを御覧ください。眼のない顔、ではありません。顔のない眼。おかしな、しかし妙に耳に残る表現です。そう言えば、どことなく鳩を出す鳩、に共通する居心地の悪さを感じませんか。
本題に入る前に、映画「顔のない眼」についてお話ししましょう。でなければ、ポロックとフランジュの邂逅がいかに奇跡的組合せであったかということが、お分かりいただけないと思うからです。
「顔のない眼」、1959年製作・60年公開のフランス・イタリア合作映画です。同作について語る時、まずその豪華なスタッフについて触れなければなりません。脚本がボワロー&ナルスジャック、当時のフランス最高のミステリー作家コンビです。ヒッチコック「めまい」やクルーゾー「悪魔のような女」の原作者としても知られますが、その二人が原作提供ではなく、直接脚本を手掛けているのです。撮影はオイゲン・シュフタン。アカデミー賞受賞の「ハスラー」等を手掛けた巨匠であり、鏡を用いた合成法“シュフタン・プロセス”の考案者としても知られます。更に音楽はモーリス・ジャール、「アラビアのロレンス」のこれまた巨匠です。監督のフランジュはフランス・ヌーベルバーグの始祖と目される人物です。きりがないのでこの辺にしますが、とにかく超一流のスタッフの手に成る作品です。
その映画が美しい、もしくは難しい芸術映画であれば問題無いのですが、問題なのは、よりによってこの「顔のない眼」は、残酷な描写を含む、陰惨な物語である点です。そのプリントが国立近代美術館フィルムセンターに収蔵されているのです(もしかすると火事により焼失しているかも知れません。出火前、同館が京橋にあった時代は、確かに収蔵されていました)。つまり、それだけ評価の高い作品なのです。現行のDVD・ブルーレイが販売されていますので(つまりそれだけ人気がある、ということです)、心臓に自信のある方は一度御覧になられてはいかがでしょうか。
「顔のない眼」日本版DVDパッケージ フランス・オリジナル劇場公開版ポスター
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「顔のない眼」でファンになったフランジュが、あのポロック主演の映画を撮っている。そしてそれが、私の少年期のトラウマの正体だった…。ここで、ようやく話は「ジュデックス(ビデオ)」へと戻ります。
「ジュデックス(ビデオ)」は、1963年のフランス・イタリア合作映画で、アルセーヌ・ルパンのような犯罪ヒーロー物です。ジュデックスはそのヒーローの名前で(ラテン語で“裁き”の意。ジュデックスは英語読みでしょう。私には正確な発音は分かりません)、演じるのはもちろん、チャニング・ポロックです。
問題の、私のトラウマ・シーンですが、あれは開巻数分後マスカレイド(仮面舞踏会)のシーンでした。正装の男女達が仮面を着けて踊っていると、そこに鳥の仮面を被り、鳩の死骸を手にした男が入ってきます。皆が注視するなか、男は死んだ鳩を蘇らせ、更に数羽の鳩を取り出す…何とも幻想的なシーンです。
劇中シーン
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今回お話ししたいのは、この鳩出しのシーンについてです。1963年といえば「ヨーロッパの夜」からわずか4年後ですが、私の目には、正直かなり技量が衰えているように感じられるのです。少なくとも、ジャリを掛けた、ネタ袋を引いた、というアクションは、はっきりと分かります。
劇中シーン
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わずか4年の間に、果たしてそのようなことがあるものでしょうか?あるいはマジシャンとしての活動にブランクがあったのかも知れません。マスクを被っての演技故、やりにくかったこともあるでしょう。
しかし、私にはある別の思いがあります。それは、ファンの方々のお気持ちを傷つけてしまいかねないことも、よく分かっております。しかしこれはあくまで根拠皆無の、私の仮説に過ぎません。数々の映像制作に関わらせていただいた私の直感です。
私の仮説はこうです。「ヨーロッパの夜」は、一般にドキュメンタリーとして分類されていますが、果たして本当にそうでしょうか?
それにしては、おかしな箇所が見受けられます。
例えば、ポロックのシーンは劇場外観から着席する観客席のショットで始まりますが、その際、観客席に舞台を撮影する筈のカメラは有りません(もちろん、写っていない部分にカメラが有る可能性もあります)。
劇中シーン
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また、途中カードのパームをアップで見せるショットがありますが、それはカメラをかなり被写体に接近させて撮影されています(ワイドレンズを被写体に接近させて撮影した映像と、遠くから望遠レンズで撮影した映像では、被写体と背景との遠近感にかなりの差異が生じます)。
そのカメラとカメラマンは、観客の邪魔ではなかったのでしょうか?もちろん、観客は納得づくであった可能性も捨てきれません。
劇中シーン
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そこで私はこう思うのです。ポロックのシーンは、ワンカット毎にカメラを止め、入念な準備の元に長い時間を掛けて撮影したものを、編集により数分にまとめたのではないでしょうか。もちろん、全ショットはベストアングル・ベストライティングで完璧に撮影されます(そのためには、主要スタッフがタネを完全に理解していることが必要不可欠です)ので、編集されたフィルムからは、映るべきでないものは慎重に排除されます。
この映画に関連したと言われるグァルティエロ・ヤコペッティは数年後映画「世界残酷物語」に始まる残酷ドキュメンタリーで一世を風靡しますが、後にそれらには数々の捏造が指摘されていますから、あながちあり得ない話ではありません。
一方の「ジュデックス(ビデオ)」はどうでしょう。
編集されたフィルムから察するに、私には逆にこちらは、劇映画であるにもかかわらずスタッフ・出演者には一切のタネを知らせず、カメラの前に立ったポロックがいきなり鳩を出し始め、カメラはそれをアドリブで拾い、観客役はそれに素直にリアクションしたように見受けられます。
家畜の屠殺場を記録したドキュメンタリー「獣の血」を始め、フランジュのほとんどの作品はドキュメンタリーですから、それもまたあり得ない話ではありません。
結局私の結論はこうです。「ヨーロッパの夜」のポロックは映画技法を駆使して描かれた完璧な理想像であり、本当の実力はむしろ「ジュデックス(ビデオ)」に近い…。人気の絶頂期にマジシャンには見切りをつけて俳優に転向した理由については、色々な噂があります。
もし私見をお許しいただけるなら、“映画「ヨーロッパの夜」の中の自分、世界中のファンのイメージする理想像には決して追い付けないことを悟ったポロックが、その呪縛から逃れるため、あえてもうこれ以上マジックを演じることを辞めた”、そう私には思えてなりません。
真相はどうあれ、ポロック本人が鬼籍に入られた今、それは永遠の謎となってしまいました。
ポロック本人には、一度だけお会いしたことがあります。横浜FISMのおり、野毛の居酒屋で楽しく盛り上がっていると、暖簾をかき分けひょっこり顔を覗かせた背の高い外国紳士が、他ならぬチャニング・ポロックでした。
周りの仲間にはそれは、あの「ヨーロッパの夜」のポロックに会えた瞬間だったのでしょう。
しかし私にとってそれは、少年期からのトラウマの長い長い呪縛から、ようやく解き放たれた瞬間だったのです。
※参考文献:
‘The Psychotronic Encyclopedia of Film’(Michael Weldon)
※画像出典:
「顔のない眼」ブルーレイ
‘Judex’Criterion Collection
IMDb(International Movie Database)