サーストン亡き後、1940年代のアメリカでトップマジシャンといえば、ブラックストーンでした(初代・1885~1965)。第2次世界大戦の最中には、米兵を支援する民間団体USO(米国慰問協会)の依頼を受けて、なんと国内165ヶ所の米軍駐屯地でマジックショーを見せています。全米やカナダでの大魔術のフル・イブニング・ショーは1950年代半ばまで続き、3才の息子(ブラックストーン・ジュニア)との初共演も果たしています。
ブラックストーン |
ブラックストーン・ジュニア |
その人気を背景に、1941年から1947年にかけて「スーパーマジシャン」という奇術コミック雑誌を発行しました。その頃もっとも人気のあったコミック「スーパーマン」になぞらえた雑誌名で、世界各国を舞台にイリュージョンを演じながら、悪を倒すマジシャンの活躍を描いたものです。ストーリーの作者はフーディーニやサーストンの著作のゴーストライターといわれた、友人のウォルター・ギブソンです。
「スーパーマジシャン」の表紙(右は有名な「浮かぶ電球」) |
これと並行して1946年4月には「マスター・マジシャン」という名のコミック雑誌を発売しました(売価10セント、VITAL出版社)。 これはわずか同年7月の3号で終わってしまいましたが、 雑誌名は彼が1910年代の若い頃に、「ブラックストーン、ザ・マスター・マジシャン」というキャッチフレーズで 一座を組んでいた時に使っていたものです。 内容は読み切りコミックのほかに、簡単なマジックの種明かしが付いています。
「マスター・マジシャン」(左から1号、2号、3号) |
マジックの種明かし「起き上がる紙マッチ」 |
第1号の「”FILM TO LIFE”(映画から現実へ)」は、映画のスクリーンに映し出された銀行強盗が、スクリーンから舞台に出てきたり、ブラックストーンと女性アシスタントが、舞台からスクリーンに飛び込んでギャングを追いつめたりするストーリーです。 このコミック誌「マスター・マジシャン」の直後に、さらに「ブラックストーン・The Magician Detective(探偵奇術師)」というコミック誌が3号発行されています。
第1号”FILM TO LIFE”の漫画 |
「The Magician Detective」 |
ブラックストーンはその後、1948年から2年間、”Magic Detective(探偵奇術師)“のシリーズ物のラジオ15分番組や、1950年代中頃からは全国ネットワークのCBSテレビ“It’s Magic”や、NBCテレビの”Tonight”ショーにも出演して人気を博し、息の長い大スターのマジシャンとして活躍するのです。