二代目
「天華大魔法団」のプログラム(表、裏)、表紙の写真は二代目天華 |
日時、劇場名は不明だが大正11年頃か? |
昭和4年(1929)9月には京都・
昭和5年12月・新歌舞伎座での「松旭斎天華大公演」 プログラムの表紙、写真は二代目天華 |
左の顔写真は歌手の赤田龍子 |
一座楽団(左上)、「首切り大魔術」を演じる萩原秀長(左下)、「最新奇術」を演じる二代目天華(右)
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特に最高圧電流実験(写真)は助手の赤田龍子を鉄骨の上に立たせ、下腹部に鉄の棒を突き刺して(実際には鉄棒付きの支えを下から股にはめ込む)龍子の体を空中で回転させるエロチックなもので、横に術者としての萩原秀長の姿が写っています。左端の技師がスイッチを入れると火花や電流が流れるのが見えるのです。これは当時、昭和初期のエロ・グロ・ナンセンス文化の世相を表わすものとも言われました。
「エロ・グロ・ナンセンス」の世相を映した「最高圧電流実験」
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昭和4年9月29日付の「京都
その後、台湾での興行中、一座の歌手であった赤田龍子が三代目天華になっています。
なお萩原秀長は、職業奇術師の集まりである日本奇術協会の設立時(昭和16年1月に同会会則、役員名簿作成)に、初代会長・松旭斎天洋(名誉会長は初代天勝)の下で副会長をつとめ、当時の奇術界において重鎮の一人でした。