オーストリアは、数々の有名なマジシャンを輩出しています。古くは同国の女帝-マリア・テレジアに仕え、1769年に「チェスの自動人形」を披露したケンぺレン男爵や、ドイツの文豪ゲーテの孫たちに手品を教え、イギリスも含めたヨーロッパ中で活躍した華麗なマジシャンのデューブラー(1801-64)、さらに「The Card Star(カードを5つ星状のスタンドに投げつけると選ばれたカード5枚が、星の先端に現れる)」や「Crysal Clock Dial(時計のダイヤルが観客の思った時刻で止まる)」を発表した偉大な発明家のホフツィンザー(1806-75)などです(「マジックの切手」第3回、4回、13回ご参照)。
デューブラー、ホフツィンザーとフィッシャー(後述)の3人は、ウィーンが生んだ偉大なマジシャンとして、同市の通りの名前にもなっています。
デューブラー生誕200年記念の初日カバー(オーストリア発行・2001年)
(死去したのは1864年、63才の時で、カシェのような写真が残っている)
「チェスの自動人形」の切手 |
ホフツィンザー生誕 |
下の切手は、1908年に創設されたウィーン・マジッククラブ(MKW)の創立100周年記念の切手です。中央の赤いダイヤは同クラブのロゴ、右が創立の中心人物だったルーウィック・ブルンナー、左がホフツィンザーの研究者であるオットカー・フィッシャー(1873-1940)です。特にフィッシャーは長年にわたり、MKWの会長を務めました。
同クラブには、オーストリア人だけでなく、アメリカ人のジョン・マルホランド(多数のマジック本の著者で、コレクターでも有名)や、オキト夫妻、デビッド・バンバーグ(後のフー・マンチュー)も一時期、会員になっています。
さらに戦前はドイツやハンガリー、SAM(アメリカ奇術家協会)などの海外のマジッククラブとも友好関係(友団と称す)にあり、その中には東京奇術研究会(1933年9月設立のTAMC-東京アマチュア・マジシャンズクラブの前身)の名も見られます。これはTAMC創立者の一人であった緒方知三郎氏が、昭和7年(1932)10月から翌8年5月まで欧米各国に留学したおりに、MKWの例会(当時の会長はフィッシャー)に、東京奇術研究会の名で出席したのが、きっかけとなったのでしょう。
ウィーン・マジッククラブ(MKW)創立100周年記念切手とフルシート
(オーストリア発行・2008年)
ウィーン・マジッククラブは、第2次世界大戦中は、占領国ドイツのドイツ・マジックサークルの地方支部に編入されたこともありました。しかしドイツの敗戦後、クラブはただちに単独のマジッククラブに復帰、会員数を増やしていきます。
当初はヨーロッパが中心であったFISM(3年に一度のマジック世界大会)では、第7回(1958)と第13回(1976)に、ウィーンが開催地となっています。
1989年には、ホフツィンザーの研究書を出版している世界的に有名な”Magic Christian”(1945~)が会長に就任、同年”Young Magicians Club”を設立して、オーストリアの若手マジシャンの育成にも尽力しています。
(本稿はMagic Christian氏のご協力により、切手と情報を入手して執筆しました)
Magic Christian