多湖先生は昭和8年から今日まで83年間、大勢のTAMC会員と深い交流を持った。 これほど長い期間、TAMCに関わった会員は、TAMCの歴史上、多湖先生の他には見当たらない。 人間関係は無形であるが貴重な財産である。先生は多くの人材づくりにも貢献して下さった。 そしてご在任中、先生のご指導は大変質が高く、いまでも会の運営の役に立っている。
先生が初めて奇術と出会ったのは昭和8年(TAMC創立の年)、小学校2年生の時である。
当時奇術界の巨匠とうたわれていた阿部徳蔵氏(のちTAMC第2代会長)から直接奇術指導を受けた事による。
では、なぜそのような機会を小学生が得る事が出来たのだろうか!
当時、尾張徳川家第19代のお殿様、徳川義親侯爵は奇術を趣味とするものを集め、徳川邸で奇術研究を行なってきた。
それがその後クラブの形を整え、昭和8年9月27日「東京アマチュアマジシャンズクラブ」が創設された。
わが国初のアマチュアマジシャンズクラブである。
当時のメンバーには阿部徳蔵氏(第2代会長)緒方知三郎氏(第4代会長、会長在任20余年)、亡父坂本種芳(第5代、第7代会長)柴田直光氏(昭和20~30年副会長、名著『奇術種あかし』の著者)などがいた。
末尾に掲戴の写真「石田天海ご夫妻歓迎会(於徳川邸)」はこれまでTAMC記念誌等にしばしば掲載されたことがあるので、ご覧になった方も多いと思う。
この写真を多湖先生にご覧に入れたところ、先生が小学校2年頃の時、この部屋でここの出ているメンバーがマジックの研究をしているところを多湖先生は会場の片隅で「のぞき見」したことがしばしばあり、
それが阿部徳蔵氏の目にとまり、直接奇術を教えていただいたことがあったとのこと。
それが、多湖先生の奇術人生のきっかけとなったという。
繰り返していえばこれが先生の小学校2年の時であり、先生の奇術人生の原点となったということができよう。
実は、多湖先生は小学生の頃、お父上は仕事の関係で徳川邸の内部に住んでおり、先生も徳川邸の中で過ごしていたのである。
多湖先生は戦後は中野に住まわれており、大学で心理学の講義を行っていた。
昭和27年、TAMCに青年部が出来たとき、青年部に入会された。その時は私も同時に青年部に入会したので、よく覚えている。私の大学2年の時である。
但しちようどその頃から、先生は仕事が忙しくなり大学の講義の合間をぬって出版や講演、テレビ出演など多忙を極めた(出版は名著『頭の体操』につながっていく)。
そのため、一時期TAMC例会への出席はめっきり滅少してきた。
その後ももちろん、先生が引続きTAMCの会員であったことは間違いない。
TAMC青年部は昭和37年、その役割はなくなったということで解消し、成年部員は全員正会員として認められた。
先生が例会にお出でになる頻度が高まったのは、先生の本業が一段落した
昭和60年に入った頃だと記憶している。
それからは、先生はその持てる知恵と知識力、そして行動カをもってTAMCの中で
さまざまな役割をこなされてきた。
そして平成13年には「TAMC第16代会長」に選任され2期4年にわたり先生はTAMCの
文宇通りトップとして、私たちはご指導をいただいてきた。
なお、先生には会の運営のご指導そのものにとどまらず、TAMCの人材づくりにも大いにご協カをいただいた。
実例を拳げれば第19代会長に就任したNHKの
山本玄一氏、本職の弁護士としても腕をふるった副会長の阿那隆彦氏、
大会の名司会者だつた大山琢一氏、
パズル会の世界的権威 芦ケ原伸之氏、
日本サッ力一協会会長の川渕三郎氏、
現在会運営の中心にいる梶田明宏氏、
官内庁といえば流鏑馬の鈴木真弓氏、
空手六段の尾崎教弘氏、
プロマジシャンに顔が広い岩野勇氏・小川一夫氏など、
先生の紹介で入会し、TAMCの戦力になった方を挙げれば、枚挙にいとまがない。
それほど先生はTAMCの人材づくりに貢献して下さった。
先生の誕生日は2月26日。
私たちの世代では極めて関心が高い『2・26事件」(日本陸軍の起したクーデター事件)と同じ日である。
毎年2月26日になるとマスコミ報道等で2・26事件の記事が出てそれを思い出すと同時に
「今日は多湖先生の誕生日だ! 今頃軽井沢で何をしているかな? それとも宮古島かな?」と思う毎年であった。
昨年(平成28年)の2月26日もまったく同じ想いをしていたところ、
その直後に会員の尾崎教弘さんからの「3月6日多湖先生が亡くなりました」という卦報に接し愕然としました。
多湖先生からはTAMCの大会委員会の会場などとして、
毎週のように御自身のオフィス(当初赤坂見附にあり、ついで月島の元ご自宅ファミール月島に移転)を使わせていただきました。
また、最晩年のご自宅である月島サンシティ銀座の施設も
TAMCのイベントのために、しばしば利用させていただきました。
そのたびに、奥様にはたいへんお手数をかけ、お世話になりました。
また、私的なことですが平成2年私が『超能力現象のカラクリ』という本を書いたとき
多湖先生から「推薦の言葉」をいただきました。
その時は本の表紙のカバーの裏側にページいっぱいに書いてくださり、書籍の価値を高めていただきました。
そのようなことを考えつつ先生のご逝去に当たり、
TAMCの先生の存在価値の高さを思いつくままに書き出してみました。
改めて多湖先生のご冥福を祈念いたします
この会の前後、阿部徳蔵氏は、この部屋で近隣に住む子供たちに、マジックを教えていた。
当時徳川邸の中にお住まいの多湖先生は小学生で近くに住む小学生と一緒に、
阿部徳蔵より皆でマジックを教えてもらっていた。
それが先生のマジックの原点になった……と伺っている。
本記事は多湖先生を偲びTAMC会報に寄稿した文章を元に作成しました。
写真資料提供協力者: 蔵原克治氏、梶田明宏氏、黒崎正博氏、三好勲氏