「ビル・イン・レモン」は、すでに、私が不定期に刊行している奇術雑誌の特別版である”masquearde classic edition series No.1”(2002年)で当時の最先端の方法を含むいくつかの作品を扱いました。いまから18年も前の話です。そのとき、特殊なギミックを使う方法も含めて解説したので、もう、「ビル・イン・レモン」は卒業できたかな?と思っていました。それがそうでないと自覚させられたのは、Scott Alexander とBob Kohlerによって考案され販売された”The Final Cut”を観たときです<写真1>。
この商品の価格は、199.99ドル(約21000円)です。
カタログや広告の現象を読んだり写真や動画を見たりして手品の用具を購入したとき、商品が届いて箱を開けて、あるいは、タネと解説を見て、がっかりするときがあります。
特に手品の場合は、この落胆が大きいような気がするのは私だけでしょうか?実にこの”The Final Cut”も、200ドル近くしたのですから、それなりの期待感がありました。
ところが、箱を開けると、それこそタネらしいタネは何も入っていません。
誤解を恐れず言えば、ギミックも特殊な用具も何もないのです。
厳密には、多少のギミックめいたものはあるのですが、それはまあ、「工夫」と呼べるような類いのもので、実際の演技を練習してみれば、誰でも思いつきそうなほどの「工夫」なのです。
それでは、この商品は200ドルの価値がないのかと言うと、それがそうでもないから話はややこしいのです。
解説のDVDを見てました。最初に解説なしの演技(ライヴ)だけを見るとびっくりします。
え?いつレモンに紙幣を入れたの?と思います。何回見ても不思議です。
まあ、スコット・アレクサンダーとボブ・カーラーだから、手順も台詞もよく考えてあって、演技も上手だから無理もないのですが、それにしても不思議です。
スコット・アレクサンダーは多才な人で、私は、1850ドル(約20万円)もする彼の”MIB”という商品も購入しましたが、そういういわば先端的な手品のみならず、なんと欧米版支那蒸籠とも言うべきクマ・チューブまでステージで演技しているのには驚きます。
もっともクマ・チューブはそれほど上手だとは思いませんでした。
”The Final Cut”は、「ビル・イン・レモン」の持っている根源的な問題を、ほとんどすべて解決した手順と言っても過言ではありません。
100年も前から演じ続けられていた手品が、いまだにまだ改良すべき点があるとは思いもよりませんでした。
実は、この同じ二人が、2004年に、その名も”Final Answer”という商品を出しているのです。
これこそ、その当時、この「同じ二人」が、「最後のビル・イン・レモン」として売り出したものです。
そのときのスコット・アレクサンダーによれば、「もうこれ以上の方法はない」とまで言い切っていました。
ところが、そのライヴの実演を観た私には、どうしてもこれが「最終的な解決方法」には思えませんでした。
紙幣にサインさせる、そのサインペンに仕掛けがあって、それで、まるで注射器のように紙幣をレモンに入れるのです。
そのために、紙幣を不自然なまでに筒状に巻かなくてはなりません。
しかしながら、ペンに紙幣を充填してしまえば、いつでも観客の前でレモンの中に入れることができますから、そういう意味での自由度というか柔軟性はあります。
ちなみに、私のmasqueradeの特別号(2002年)のあと、大阪の松田道弘さんが、「クラシック・マジック事典Ⅱ」(東京堂出版2003年)で、「ビル・イン・レモン」を扱われましたが、私とはまったくアプローチが異なるので、重複している心配はありません。
この”Final Answer”も販売されたのは2004年ですので、私の冊子(2002年)にも松田さんの本(2003年)にも触れられていません。
しかし、今回の”The Final Cut”は、それから10年後に改案された、まさに「最後の解決策」だと思えます。
そこで、それに触発されて、再度、「ビル・イン・レモン」を考察することにしました。
マジシャンは、観客から紙幣を1枚借ります。この紙幣を同定するために、欧米では紙幣に直接観客のサインもしくはイニシャルをしてもらいますが、日本のように硬貨や紙幣を汚したり傷つけたりすることが法律で禁じられている国や、紙幣にサインすることに抵抗のある文化のところでは、紙幣の発行番号(シリアル番号)を書き留めて控えておく演出もあります。
この当該紙幣が、なんらかの手段で消えるか、あるいは燃やしてしまうかの行為によって観客の目の前から消えてなくなり、その紙幣がレモンの中から出てくる、というのが、「ビル・イン・レモン」の基本的な現象です。
レモンは、あらかじめテーブルの上に置いてある場合もあり、マジシャンがポケットから出して来る場合もあります。
また、複数個のレモンの中から観客に1個を選ばせたり、始めから1個だけのレモンであったり、演出はさまざまです。
手品は、現象と効果がすべてですので、自らそれにいろいろな制約を課して演技を狭くすることは本意ではありませんが、
そうはいっても煩雑な準備や、相当な事前セットが必要なものは、どうしても演じることに負荷がかかります。
加えて、観客の側から見て手順の中で不自然さの残る部分は避けたいものです。
さらに、せっかく「ビル・イン・レモン」という単純な現象の手品を演じるのに、その過程で、
借りた紙幣がさらに変化するとか、レモンが突然出現するなどの別の現象を手順の中に挿入するのも得策ではないと思います。
以上のことから、まず私(麦谷)の考える「ビル・イン・レモン」の要件を列挙しておきます。
このL&Lのシリーズの、”The Secrets of BILL IN LEMON”は、2006年に出ました(写真2)。したがって、私が書いた2002年の冊子では、まったく触れられていませんでした。
<写真2>
このDVDには、全部で5人のマジシャンの「ビル・イン・レモン」が収められています。まず、それらを収録順にコメントしてみます。
まず、観客から借りた20ドル紙幣に観客自身で大きなサインをさせます。それから、サムチップを使って、この20ドル紙幣を1ドル紙幣に変えます。これは標準的な手順です。ビル・マローンは言わずと知れた手練ですが、なぜかこのスイッチは、あまり上手ではありません。スイッチした1ドル紙幣を、20ドル紙幣を貸してくれた観客に渡して、一旦、演技が終ったようなジェスチャーになります。DVDの映像では、この観客がジーン・マツウラ(カード・マジックの名手。スライディーニの本も書いている研究家)だったので笑いました。この間に、ズボンのポケットに用意しておいたレモンに、サムチップの中の折り畳まれた紙幣を押し込むのです。この作業はすべて、片手でポケットの中で行ないます。詳細なハンドリングやタイミングなどに興味をもたれた方は、
このDVDか、ビル・マローンの”On the Loose”というDVDを参照なさってください。このあと、片方の靴の中からレモンを出現させて、レモンをナイフで切ると、中央から、まさしく観客のサインした20ドル紙幣が出てくるというわけです。
この手順では、出てくるレモンこそ、突然、靴の中から出てくるので、上記の3つの条件を満たしてはいませんが、演技としては必要かつ十分です。特に、ポケットの中でサムチップから折り畳まれた紙幣を取り出して、それをレモン(もちろん入れやすいようにあらかじめトンネルが作ってあります)に挿入する作業を片手で短時間に行なうのは、かなりの練習が必要です。
最初に結論を言ってしまって恐縮ですが、このDVDに収められている5つの手順の中では、このビル・マローンのものは、セカンド・ベストです。理由は、実際に、これをクロース・アップやプラットフォームで演じる場合は、私などは、靴からレモンを出すことに抵抗があります。靴から出現させたレモンは、一旦観客に手渡すのですが、普通の観客は、マジシャンの靴の中から出て来たレモンを受け取るのに躊躇するものです。それが一定の演出で笑いを誘うとわかっていても、抵抗のある人はいるでしょう。したがって、このポケットの中のレモンの出し方に何かいい方法が見つかれば、これはもっともいい手順になる可能性があります。
この手順は、Doc Eason自身が解説で語っているように、基本的にはSteve Spillの手順を元にしています。レモンは、演技の最初から観客に示し、布製の袋の中に入れて、演技の間中、ずっと観客の一人が持っています。観客から借りた紙幣は、別の観客によってイニシャルがサインされ、フィンガーチップで消されます。そのサインされた紙幣そのものが、観客のずっと持っていた袋の中のレモンから出てきます。レモンを切るナイフ、サインするペン、紙幣をあとから挟む鉗子、レモンを入れておく袋などなど小道具は多いのですが、そういう小道具のひとつひとつをあらかじめ観客に手渡し、演技の節目で回収することが一種のミスディレクションになっています。最初に挙げた3つの条件をすべて満たしたすぐれた手順と言えます。
Doc Easonは、バー・マジシャンですから、カウンターの向こう側に座っている複数の観客に対して同時に相手をする必要があり、また、彼のバーに来る客は、ある程度、手品を見慣れている可能性があります。そういう意味でも、複数の小道具を用意したり、あえて、サムチップではなくてフィンガーチップを使ったりするのも、彼独特の演出と言えます。フィンガーチップでの紙幣の消失は決して上手とは言えませんが、サムチップに馴れている観客にとっては、親指が自由自在に動いているので不思議かもしれません。また、当然ですが、紙幣を消してしまってからは、指がじっとしていることはありませんから、観客がフィンガーチップに気づくこともありません。驚くのは、このフィンガーチップの付いた指で、袋の中のレモンを取りに行くのです。きわめて直接的です。そして、袋の中でフィンガーチップを置いて、紙幣だけを指で挟み、レモンの中に入れます。レモンは、頭の部分をあらかじめフラップ(蓋)のように切ってあり、そこから指でトンネルが作ってあります。フィンガーチップの付いてない方の手で袋の外側からレモンを左右から握って、このフラップを開けるのです(<写真3>
:袋の中)。するとトンネルの入り口が開きますから、ここから紙幣をレモンに入れます。袋は、中にフィンガーチップを残したままカウンターの内側で処理します。こういうところがバー・マジシャンの有利なところです。観客とバー・カウンターを挟んで向き合うと、マジシャン側のカウンターから下の部分は、観客からは一切見えませんから、まるで大きなセルバンテがあるようなものです。またバー・カウンターの左右に拡がる横の大きさは、観客自身は通常自分の座っている椅子から動くことができないのに対して、マジシャンはカウンターの中を左右に大きく動くことができるのでミスディレクションが効きやすく、さらに観客の視野はそれほど大きくはないので、マジシャンの左右の動きを大きくすれば、観客はそれに付いて来られないことも有利な条件です。
Doc Easonの方法は、私の掲げた3つの条件を満たす観点からも、この5人の中ではベストと言うべきものです。惜しむらくは、フィンガーチップの手を、ほとんどダイレクトに袋の中に突っ込むのが欠点と言えば欠点です。ただし、観ている観客は、誰もそのことを不審には思いません。
最後に紙幣を挟む鉗子は、特にDoc Easonのようなバー・カウンターで演じている場合にはあまりその効力を発揮していないきらいがあるので、余計な小道具と思われるかもしれません。しかし、レモンの中に埋め込まれた(刺さった)折り畳まれた紙幣は、意外に小さくて、かつ取り出しにくいものです。したがって、これをSteve Spillのように大きなステージで演じる場合では、せっかく、観客のサインした紙幣そのものを苦労してレモンの中に入れて取り出しているのに、その場面で、紙幣をすり替えたと思われるのは癪です。それを避ける意味でも、レモンからちょっと覗いている紙幣の先端を柄の長い鉗子で挟んで観客に取り出させるのは、紙幣のスイッチを暗黙のうちに否定する意味でも大きな意義があると思います。
大阪の松田道弘さんは、前述の「クラシック・マジック事典Ⅱ」の中で、このDoc Easonのやり方が、「一番いい方法ではないか」と書いておられます。
Fielding Westは、ラスベガスで活躍するコメディ・マジシャンです。ラスベガスには約1200人のマジシャンが働いていると言われますから、その中で頭角を現してくるのは相当な実力だと言っていいでしょう。彼の「新聞と水」(そう、あの「新聞と水」です)は絶品です。
さて、Fielding Westの「ビル・イン・レモン」は、まず観客から20ドル紙幣を借りるところから始まります。コメディ・マジックですから、こういうときの観客とのやりとりで笑わせます。次に、この20ドル紙幣を2枚の10ドル紙幣に換えます。使うのはサムチップですが、あまり上手ではありません。決して下手ではないのですが、上手ではありません。次に、出現(変換?)した2枚の10ドル紙幣のうちの1枚に観客の名前をサインさせます。イニシャルではなくて名前です。このことはあとで大事になります。観客がサインしたら、観客自身に小さく折らせてからそれを受け取り、これをフラッシュ・ペーパーとスイッチしてライターで燃やします。このハンドリングも、ものすごく大雑把で上手でなく、私は観ていてびっくりしました。ちなみに、DVDの演技の部分は、ラスベガスでのライヴのステージです。たぶん、こういうところのディテールには拘らないのでしょう。さらに驚くのは、フラッシュ・ペーパーとスイッチした客の紙幣は、そのままライターと一緒に上着のポケットに入れてしまうことです。
この紙幣をいつレモンの中に入れるのでしょうか?実は入れないのです。紙袋を観客に渡します。この中には3個のオレンジ(レモンではなくオレンジを使っています)が入っていて、その中の1個に、あらかじめ「私の名前」とマジシャンが書いた紙幣が挿入されています。コメディ・タッチのやりとりはありますが、最終的に、この用意した1個をナイフで切って、中から紙幣を取り出します。紙幣をサインした観客に広げさせ、なんて書いてあるか大きな声で言わせます。観客は、「私の名前」と言って笑います。それでオシマイです。
ステージに上がった観客には、紙幣が自分のサインした紙幣ではないことがわかりますが、そのほかの大勢の観客には、あたかもステージの観客が自分の名前をサインしたその紙幣がレモン(ここはオレンジ)の中から出てきたように思えます。プロフェッショナルのマジシャンには、よく、このような演出をとる人がいます。大きなエンターティエンメントを優先したと言えるでしょうか。ただし、DVDの解説では、オレンジの中から出て来た紙幣をナプキンで拭くフリをして、ポケットの本当に客がサインした紙幣と交換して渡せ、と説明しています。そうすれば、席に戻った客が、もう一度紙幣を広げて、そこに本当に自分の署名を発見して驚く、ということですが、実際のステージの演技を観る限り、そのようなスイッチを行なっているようには見えません。
したがって、ショーとしては秀逸ですが、アマチュアのみなさんにはお勧めできない手順です。
1979年のFISMでカード部門のチャンピオンになったフランス人です。心理学の教授でもあるので、いろんな仕草に理屈があって、説明はちょっと閉口します。でも、いかにも女性にもてそうなフランス人のおっさんで憎めません。彼の手順は、「ビル・イン・レモン」ではなくて、「カード・イン・レモン」です。カードはフォースで、デュプリケイトがあらかじめレモンに仕込んであります。レモンは、手順の流れの中で突然出現します。カードをフォースして、そのデュプリケイトが出てくるので、面白くもなんともないのですが、いろいろ演出がこねくり回してあって、典型的なアマチュアの手順になっています。こんなふうに手品をいじってはいけない、という見本のようなものです。
マークト・デックとメンタル・マジックで有名なドイツ人のマジシャンです。こんな普通の手品もやっていたのか、と意外でしたが、もともと葉巻の中から紙幣が出てくるマジックが得意でしたから、その延長線上にあるとすれば、そんなに驚きはありません。紙幣は、観客にサインさせるのではなく、番号を控えるタイプの方法で、さらにその番号のある紙幣の部分を半券のようにちぎって観客に持たせる手の込んだやり方です。もちろん、あとでレモンから出てきた紙幣と割り符のごとく符合させるためです。この凝った仕掛けを実行するために、同じ紙幣を2枚も周到に準備しなければなりません。
これだけでは意味がわからないと思いますので、簡単に言いますと、同じ番号の紙幣は世の中に1枚しかありませんので、これを3分の1くらいのところで切って3分の1と3分の2とに分けます。すると、同じ番号の1枚の紙幣が3分の1と3分の2の幅で2枚に分けられたものができます。このうち、3分の2のほうを折り畳んでレモンに入れておきます。残った3分の1のほうは、最終的には観客に手渡して割り符とします。一方、最初は完全な1枚の紙幣に見えなければなりませんので、もう1枚別の紙幣を用意して3分の2+αを切って、それとさきほどのタネの3分の1とをくっつけて1枚の紙幣のように見せます。ここで、新しい紙幣から3分の2+αを切り取るのは、タネの3分の1とくっつけるときの「のりしろ」(実際はマジシャンズ・ワックス)が必要だからです。2枚必要なのは、そういう理由です。さらに、この作業を行なうのに、Ted Lesleyは、特殊なカッターのようなものを使っていて、それも私どもにやる気をなくさせる原因のひとつになっています。
やる気のなくなる原因の2つ目は、番号の控えを渡したあとの3分の2の紙幣の消失です。この紙幣を消すために、二重になった封筒を使うのです。この封筒の作り方もDVDでは懇切丁寧に解説してありますが、とても作る気にはなりません。
以上で、もうやり方がわかったと思われます。準備した紙幣の番号の付いた部分をちぎって観客に渡し、残りの紙幣を二重封筒で消します。ずっとテーブルに置いてあった番号の一致している紙幣入りレモンを切って、この紙幣を出します。もともと一枚の紙幣であったものですから、もちろん一致しています。最初の紙幣で、観客に渡した半券部分の番号と残っている部分の番号とが異なっているのに気づかれないかと心配する人がひょっとしたらいらっしゃるかもしれませんが、誰も確認しないので、まったく心配ありません。
観客から紙幣は借りませんし、サインもしません。なのに、こんなに準備が必要なのは、紙幣の番号に拘るからです。ドイツ人の考えることはちょっと想像を超えます。
これは、Devin Knightにより2013年に発表された手順です<写真4>
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そのタイトル通り、「ビル・イン・レモン」を2回演じます。Devin Knightは非凡なマジシャンです。かなり多くの商品を手品市場に出しているので、その名前をご存じの方も多いと思います。多くはメンタル・マジックですが、「ビル・イン・レモン」のようなマジックにも一家言持っていることがわかりました。ただ、メンタル・マジシャンは、前出のTed Lesleyもそうでしたが、どういうわけか、紙幣のシリアルナンバーに拘ります。
そもそも、「ビル・イン・レモン」を同じ観客の前で2回も演じる必要があるでしょうか?紙幣の出てくる形はやや異なりますが、そんな違いに関心があるのはマジシャンだけで、普通の観客には同じ現象です。したがって、この「リピート」は、まったく意味がありません。
しかしながら、この解説書は読むと面白いのです。彼の手品に対する考え方が書かれていて興味深いものがあります。タイトルの「ビル・イン・レモン」に関して言えば、まったく同じシリアルナンバーの紙幣の作り方の書いてあるところが白眉のようです。かつて、シリアルナンバーをひと文字だけ削って、同じナンバーのものを何枚も作る方法が流布しましたが、Devin Knightによれば、それだと観客の中にも貨幣や紙幣の収集家がいるから、ナンバーの桁数の少なさに気づかれてしまうと注意しています。確かに彼の方法だと、まったく同じシリアルナンバーの紙幣が2枚できますが、ここでも、それは日本の貨幣変造罪にあたりますので、日本では現実的ではありません。
手順だけで言うと、最初の「ビル・イン・レモン」はサムチップで、2回目の「ビル・イン・レモン」はあらかじめレモンの中に挿入しておいた同じシリアルナンバーの紙幣で対応します。
この手順が前述の3つの条件を満たしていることは言うまでもありません。そこで、先の3つの条件をもう少し深く考えてみることにします。
まず、一番目の、「観客のサインした紙幣」ですが、紙幣のシリアル番号を控えるよりも簡便で確実な同定方法であることは論を俟ちませんから、これ以外の方法では観客の疑念を招きます。日本のような貨幣変造罪のある国にしても、たとえば、紙幣にあとで剥がすことのできるような小さなシールかラベルを貼って、そこにイニシャルを書いてもらうなどの工夫をすれば、紙幣そのものにサインするのと同じ効果が期待できます。そもそもシリアル番号を控えてホワイトボードなどに書き留めておく、というのは、あまりにも衒学的な演出のような気がします。
次に、レモンが最初からずっと観客の監視下においてあった、という2番目の条件からすると、突然、どこかからレモンが出てくるのは論外です。この場合、レモンが布製の袋や紙袋に入っていて、それを観客が持っていた、というケースは、ずっと観客の監視下にあったと解釈しても反対する人はいないでしょう。
最後の条件の、レモンの中から出て来た紙幣は、冒頭に観客のサインした紙幣でなければならない、というのはかなり高いハードルで、これで、あらかじめデュプリケイトの紙幣をレモンの中に準備しておく手順はすべて省かれます。
さて、”The Final Cut”は、そのすべての条件を満たしています。では、いつ、観客のサインした紙幣をレモンに入れるのでしょうか?それが、この商品を200ドルで買わせる最大のセールス・ポイントなのです。Steve SpillもDoc Easonも似たような袋を使って、最初からレモンを観客の一人に持たせています。二人とも、観客の紙幣をフィンガーチップで消して、その手をダイレクトに袋に入れて、袋の中でレモンに紙幣を注入します。文字で読むと乱暴に見えますが、実際の演技を見ると、まったく不自然なところはありません。
以上のことから、紙幣をレモンに入れるには、上記のように袋の中で入れるか、あるいは、もともとのオリジナルやBill Maloneのように、ポケットの中で入れるかのどちらかです。そうでないと、紙幣を入れるところを観客に見つかってしまうからです。ところが、The Final Cut”は、袋の中に手を入れないのです。それは、聞いてみるとまさにコロンブスの卵です。もちろん、ほんの小さなギミックが必要ですが、実際に練習してみると、これがなくてもできることがわかります。したがって、袋の中に手を入れないでサムチップの紙幣を袋の中のレモンに入れることを考えた方法そのものに200ドルの商品価値があると言えば言えないことはありません。それ以外にも観客とのやりとりや、タイミングなど演技の参考になる部分は数多くありますから、私(麦谷)は、投資価値は十分にあると思いますが、箱を開けて落胆される方がいるだろうということも否定はしません。
「ビル・イン・レモン」は、前述のごとく、”The Final Cut”が必要にしてかつ十分なやり方で、現段階では、これがベストです。では、「カード・イン・レモン」は同じように演じることができるでしょうか?紙幣がカードに代わった途端、ハードルは急に上がります。なぜなら、カードは紙幣ほどには小さく折り畳めないため、サムチップやフィンガーチップに入れるのが容易ではありません。また、紙幣を観客の目の前で小さく折り畳む行為は、なんとなく容認されていますが、カードを小さく折り畳むのはあまり普通のことではないような風潮があります。
ということは、「カード・イン・レモン」の場合、客の選んだカードは、それはそれで処理してしまい、多くは、なんらかの標識(カードの隅を破くとか)をしたデュプリケイトのカードをあらかじめレモンの中に入れておく方法が圧倒的です。これでは、最初からレモンを観客の監視下に置いておくことは容易ですが、観客に選んでもらうカードはフォースにせざるを得ませんし、あたりまえですが観客にサインさせることもできません。前田知洋氏の「カード・イン・レモン」が、前述の松田さんの「クラシック・マジック事典Ⅱ」に解説してありますが、氏の方法も、あらかじめデュプリケイトをレモンに入れておいて、同一のカードをフォースしています。
しかしながら、ここでも、先に掲げた3つの原則をなんとか守りたいものです。カードにアレンジして再掲すると次のようになります。
[現象]観客が任意に選んでかつサインしたカードが、演技の冒頭から観客の見えるところに置いてあった袋の中のレモンから出てきます。
この「カード・イン・レモン」をステージやパーティーなどで演じる場合は、やはり不思議さもさることながら、観客を楽しませるという要素のほうが重要になります。準備やセットはクロース・アップのときと同じです。カードを選んでもらうために、観客の一人を舞台に上げなければなりません。また、レモンの袋は、そのまえに観客席の最前列か二列目くらいの誰かに持っていてもらいます。舞台に上がった客は、マジシャンの左側に立たせます。デックから任意にカードを選ばせ、サインペンでサインをしてもらいます。サインをしたカードを右手に表向きで受け取り、サインペンはキャップをして、そのまま客に持っていてくれるように頼みます。
客のカードを表向きで裏向きのデックの中に挿入し、左手のパームの位置に残るようにするところまでは同じです。ここから、デックを表向きでテーブル上に拡げたりはしないで、そのまま、右手で上端を掴んで上へ抜いて、デックの表が上側になるようにして、舞台に上げた観客に手渡しますが、「いま、その中には、あなたの選んだカードだけが裏向きになっているわけですから、その中から探すのは簡単です。」こう言いながら、デックと交換に右手でサインペンを受け取ります。この間に、左手は客のカードを左右・上下と2回折って4分の1にしています。右手のサインペンを左手に渡して、ペンと4つ折りのカードとを上着の左ポケットに入れます。入れたら、もう一回カードを折っておきます。8分の1になります。カードをポケットに置いて左手をポケットから出せば、両手は空です。
舞台上の観客に向かい、「それでは、いまから、あなたに、この52枚のカードの中から自分のサインしたカードだけを掴み取る、ということをやってもらいます。表向きのカードの中から一枚だけ裏向きにひっくり返っているカードを選んで掴むのですから簡単です。」と言って、まず、客からデックを受け取ります。デックを両手の間に一旦軽く表向きで拡げて、真ん中付近に裏向きになっているカードを示します。「このカードです」と言ってから再びデックを閉じます。
「それでは、いまから、この52枚のカードを空中高く投げ上げますから、その中から、ご自分のサインした一枚を首尾良く掴み取ってください。」と言います。客はびっくりするでしょうが、かまいません。ほかの観客は喜びます。
「いいですか?1,2,3」と数えて、デックを空中にスプリングしながら投げ上げます。もちろん、客は掴めません。茫然自失とする客に、マジシャンも、呆れたような顔して立ちつくします。カードはすべて床に落ちてしまっています。
しばらく、客と観客席と床のカードを眺めたあと、「じゃあ、もう一回やりますか・・・」と言いながら、床の上のカードを1,2枚拾う動作をします。観客は笑います。
拾ったカードを床に棄て、「冗談ですよ」と言いながら、あとは、クロース・アップのときと同じやり方で袋からレモンを出し、レモンからサインされたカードを出します。