以上のことから、一つの大きな流れが見えてくる。すなわち当初、中国に「二つのお茶碗からビックリ箱的に花が出る」という手品があり、それが記された『中外戯法図説』が明治期に日本にもたらされ、ほどなくお米を使った現象が加えられたという流れである。それまでの単純な「花の出る茶碗」から二重底をもった本格的な「ライス・ボウル」に生まれ変わったのは日本だったと考えるのが自然である。そして、西洋との交流が進む過程でインドや西洋に伝わって更に進化したという構図ではないだろうか。となればお米が増えるというライス・ボウルの一番重要な現象の起源は、日本にあったということになる。
ところで、インド起源説に見られる「ボウル」は金属製の広口のボウルが一般的で、そこには陶器製のお茶碗は出てこない。インドにはそもそも「ご飯茶碗」というものがないことが一因と考えられるが、それとは別にインドにはもともと昔から真鍮製の広口の器があったことが容器の形が変わったことと関係していたようだ。実は、この広口の器を使った手品は古くからあり、17世紀初頭のインドの記事に「中の水を空にしても、いつしか水が溜まる器」という手品が描かれていたという。インド起源とされるこの手品を欧米ではLota Bowlと称し、器の中のネタ場をLota Chamberと呼んでいるが、器を逆さにして一旦水を流し、元に戻すとLota Chamberに閉じ込められていた「水」が本体に流れ込むというものである。正に二重底の構造を持った仕掛けである。
このような歴史を持ったインドに「ライス・ボウル」が伝わると、「ご飯茶碗」は「真鍮製の広口の器」にとって替わり、脱着可能な蓋でネタ場を作っていた仕掛けの茶碗は二重底のあるLota Bowlに置き換わって水の出る現象に変化していく。
この仕掛けについて少し説明を加えておこう。すなわちNo.1は普通のボウルで、No.2が二重底になっている。容量的にはaの部分よりbの部分の方がかなり大きい。そしてaの側面のcの部分と、bの底面のdに小さな穴があけられていて、これによってb部に水を入れることが出来るようになっている。即ち、No.2を水桶に入れればbの部分に水を浸入させることができ、その状態でdを塞げば準備は完了となる。こうすればNo.2をひっくり返しても(cの穴は開いたままでも)水は閉じ込められたまま落ちないというわけだ。
この改良版のいいところはNo.2の内側を一瞬見せて空のボウルであることを示すことができる点にある。ただそのために二度目にお米を摺切りにしたときaの部分にお米が残ってしまう。ところがこの米は2つのボウルを重ねてひっくり返した時にNo.1の底に沈み、その上に水が注がれるため(dの穴を開くことで水はcを通ってNo.1に注ぎ込む)客の目に触れることはなく、むしろ出現した水をNo.2に注いでみせることによって、溢れ出るように水が出現したように印象付けることができる(bを占有していた水の方がaの部分より大きいために溢れ出ることになる)。
こうしてインドに渡った日本発の「ライス・ボウル」はいつしか「花」を出す現象から「水」が出る「ライス&ウォーター・ボウル」に発展していったと考えられよう。
インド魔術団を率いた有名なP. C. ソルカはこのLota Bowlを壺の形にして「インドの水」(Water of India)のタイトルで演じていたことは良く知られている。演技と演技の幕間に、その都度壺から水を出してみせるという演出であったが、出てくる水の量は限られているため、所詮効果の薄い脇役の手品であり、現在この手品を演じる人はそれ程多くはいないようだ。
またロタ・ボウルを2つ使ってライスを出すことなく水を何度も出すウォーター・ボウルというのも市販されている。
では、原理を引き継いだはずの「ライス・ボウル」はその後どうなったのだろう。冒頭で触れたチャーリー・ミラーのライス・ボウルは、秀逸な改良版であった。詳細の解説はできないが、大ぶりのお茶碗の形をした2つのボウルを使い、二重底には新たな材料を使ってより自然な空のボウルであることを示すことができるようになっている。また、お米が増える現象を二回繰り返すことができるようにしたことも特筆すべき点である。とはいえ既に製造中止になって久しいことは前述した通りである。 一方、スコット・サービンは、お米のかわりにコーンフレークを使うというアイデアに新鮮味があった。コーンフレークの箱から中身を出してボウルに移しコーンフレークが増加する現象を行ったあと、最後は空のボウルからミルクを出現させるというものである。また最近では、ライス・ボウルをクロースアップで演じるパフォーマーが北京のFISM大会(2009年)で注目されていたという。人気が衰えた手品も新しい着想で手を加えれば再び生き生きと息を吹き返すという好例だろう。 ライス・ボウルのみならず単純で面白い現象は衣替えしながらもクラシックとして生き延びていって欲しいものだ。