松山光伸

天一が演じた時期よりも前に外国人が記していた水芸

 既によく知られているように、松旭斎天一は明治34年からの海外巡業で大いに名を高めており、この時はじめて海外に水芸とサムタイが知られるようになったと言われている。ただ、水芸はそれ以前から何人もの人が自身の芸として盛んに演じているため天一の功績というのはそれを自分流に海外に広く紹介したところにある。

 実際、天一以前に水芸を見てそれを文章で紹介していた外国人がいた。それは造船家で英国の議員でもあったエドワード J.リード(1830-1906)である。リードは明治政府が海軍を強化するに際し、指導を仰いだ人物で1863年から1870年までは英国海軍の艦船を作るトップの職にあり、その後英国議会の議員になると共に執筆活動にも従事するようになる。

 そのリードが水芸を見たのは、日本政府に招聘されて来日した明治12年のことである(天一が外遊するより20年以上も前で、まだ手品師を志す以前である)。リードは息子を伴って1月10日に横浜港に到着し、その後足早に長崎や神戸を視察して帰京ののち、横須賀の海軍の体制についてもやりとりを行い4月14日に帰国の途に着くが、水芸は2月の末に京都を案内されて東本願寺を見学した日の夕食時に余興として目にしている。

ジンタロー資料
現在の枳殻邸

 その時の様子は、氏の紀行文である”JAPAN: ITS HISTORY, TRADITIONS, AND RELIGIONS.”(副題:NARRATIVE OF A VISIT IN 1879)の第2巻の203ページに出てくる。この日は東本願寺の大僧正のいる枳穀邸(きこくてい)で夕食が振舞われたが、食後、余興として現れた芸人がいくつかの芸をみせてくれ大変楽しんだようだ。印象に残ったものとして「水芸」と「火のついた提灯の取出し」が次のように記されている。

 4インチ径ほどの丸いガラスの入れ物を取り出し、そこに少量の水を注ぐと、何もそれらしいタネがないにもかかわらず、まず水かさが増し、次に噴水のように演者の命令によって水を噴き上げたり、収まったり、はたまた扇子で意のまま操ったりする。また噴上げた水がこの扇子のアチコチを突き抜けたり、更には斜めのいろいろな方向に飛ぶといったようにと、言ってみれば演者の望むままに操られるのである。もう一つ印象に残っているのは、水の入った鉢の中から紙で出来た提灯がいくつも完全な形ででてくるというもので、演者の命令で自在に火をつけることができそれを背後に次々と吊るしていくのである。中には火がつかないものもあって、それは水でかなり濡れてしまったためという説明がされるが数分後再び発火を命ずるとそのとおり着火するのである。

ジンタロー資料
リードの見た水芸等の記述(原文)

 水芸は、吉田菊丸、養老滝五郎、中村市徳らが演じているため、この演者が誰だか特定することは困難であるが、京都で演じられたとなると吉田菊丸の可能性が高そうだ。ただ、リードの紀行文が欧米でどれほど読まれたかは定かでない。(The Times紙の1880年10月18日号でこの紀行文が大きく取り上げられたが手品師の話は紹介されていない)

 以下に、この手品師が誰だったかを特定するための追跡調査の結果を簡単に紹介しておきたい。

 日本政府が招聘したということで、外務省関係と海軍省関係の資料を調査対象としたが、結論として外務省の外交関係資料には該当する記録は見つからなかった。ただ、海軍省に関しては防衛省の防衛研究所資料閲覧室にリード氏を迎え入れた際の饗応や接待に関する上申や報告が残されており閲覧が可能であった(資料番号は、海軍省/川村還書/M3-5-5)。

 それによれば当時の海軍大臣は川村純義海軍卿で、接待掛には林清康海軍大佐が当たっていた。上述の日程はこの資料で確認できたものであるが残念なことに余興に駆出された手品師の名は記録されておらず特定することはできなかった。人選等の細かな対応は現場に任されていたということか、そもそも余興の設定は本願寺の方で行なっていた可能性もある。いずれにせよ準備が面倒なはずの水芸が余興向けに用意されていたのが確認できたのはこれが初めてで、非常に興味深い事例となった。

エピソード

 リードはもともと12/23日本着の予定ですべての段取りを日本側で整えていたが、実際には香港で急遽2週間とどまることになったという急電が飛び込み、来日がその分大幅に遅れることになった。海軍の当事者の間ではすべての段取りを変更するなど対応のための書簡が輻輳している様子が読み取れるが、この変更で手品師も大いにトバッチリを受けたに違いない。京都滞在直後にリードは体調を崩し2週間入院の憂き目にあっているため予定の多くはキャンセルされたものと思われる。現場はさぞかしバタバタさせられた訪日だったようだ。

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