彼の愛した手品で終始一貫していたことは、特別な用具や道具を使わずに気楽に楽しんでもらえる社交のマジックだったことだ。あくまでも身近なものを使いながら、即興的に、カジュアルな雰囲気の中で、見ている人との間で言葉を交わしながら笑顔をもたらすようなものを好んでいた。
これは、刺激度を高め「効果こそすべて」といった商業性を求めるマジックの流れとはおおよそ対極のもので、知的なアミューズメントとしての手品に魅力を感じていたようだ。
その彼は、1935年のMatch-Icの発刊以降、引き続き手軽にできる遊びのトリック集をまとめて出している。 “12 Tricks with a Borrowed Deck“ (1940)、”After the Dessert” (1941)、”Cut the Cards” (1942)、”Over the Coffee Cups” (1949)、といった20~30ページの小冊子がそれで、いずれも特別な小道具を必要とするものは含まれていない(カードもどこの家庭にもある普通のものを使う)。日常のリラックスした場面で、笑いを誘ったり、機知を楽しんだり、それをきっかけに場の雰囲気をなごませることができるのが手品の魅力であるというメッセージが伝わってくる著作である。
など、いまでは多くの人に楽しまれるようになっている。このようなものに愛着を持つ彼の姿勢はこれ以降も一貫していて、手品のための特別な道具を準備したり、ショーとしてステージで演技じたり、刺激の強い効果や現象を追い求めたりすることには殆ど関心を示していない。人間関係を円滑に回すための触媒としての手品とか、大人の知的な話題になるような手品を大事にしたのである。
翻って今日のマジシャンを見てみると、プロアマを問わず用具を持ち出して演ずるケースが少なくない。愛好家同士や手品のショーでは不思議な光景ではないとしても、それ以外の場で「手品のための用具」が唐突に出てくるのはいかにも不自然で、奇異な感じをもたれることになる。(注:身の回りにないものを使う必要がある場合には、それを自然に見せるために適切なストーリーを導入部として加えることが有効で、その巧拙がこの違和感を解消する上では極めて重要である。)
トリックに対する彼のもう一つの姿勢が明快に見えてくるのは1952年に出版となった ”In the Name of Science” (G. P. Putnam’s Sands刊) である。この本には邦訳版として『奇妙な論理』(初版1989年・新版1992年)が刊行されているが、その内容は原題にある『科学の名を借りて』の名の通り、学者もどきの先生が提唱する怪しげな学説とそれを盲信する大衆についての様々な事例を挙げたもので、正しい科学の目を持つことの重要性を説く啓蒙書となっている。例えば、
ところが皮肉なことに1970年代に入って
非合理主義(※注)
の考え方が再度もてはやされるようになり、多くの心ある科学者はその反科学的・疑似科学的な考え方に迎合する傾向を危惧し、これを機に1976年にCSICOP(サイコップ)を発足する。
CSICOPとは "Committee for the Scientific Investigation of Claims of the Paranormal and Other Phenomena" の略で、いわゆる超常現象等を盲信する動きに警鐘を鳴らし科学的に検証することでその実態を明らかにしていく活動である。これは『科学の名を借りて』を著したマーチン・ガードナーにとっては、正にその視点を実践できる活動母体となりうるもので、彼は友人である著名な奇術師のジェームズ・ランディ(芸名アメイジング・ランディ:1928- )などと共にこの活動の主要メンバーとして参画するようになる。
折しもユリ・ゲラー(1946- )が念力やテレパシーの能力を持つ超能力者としてスタンフォード研究所で実験を受け、その一部が1974年のネイチャー誌に肯定的に報告されるなどして評判となっていた。当時、ゲラーは世界中のテレビで視聴者を前に「スプーン曲げ」、「描かれた描画の透視」、「止まっていた時計を動かす」ことなどを演じて大きなセンセーションを巻き起こしており、日本でもブームを引き起こしたのはよく知られている。これに対し、ランディーはこれらが人心を欺くトリックであることや、また心霊手術などについても詐欺行為以外の何ものでもないことを実際にデモンストレーションして示すなど、ガードナーと同じ思いをもって精力的に啓蒙活動を行っていくのである。
※注:非合理主義とは、「世界は理性や論理によっては把握しえないとし、
感情・直観・体験・衝動などを重視する立場」をとる考え方で、
合理主義が過ぎると台頭してくるという歴史がある。