公益社団法人日本奇術協会(プロマジシャンの団体)の機関誌「ワンツースリー」の創刊号から巻頭記事として連載していた「オリジナルと権利」を今回このラビリンスの場で紹介したいとの話をいただきました。扱っているテーマは奇術界ではよく話題になるものですが、その都度同じ議論が繰り返されていたため一度整理した上で共通理解しておく必要があると思い書き留めたものです。
初出は1991年ですから既に20数年を経ていますが、基本的な考え方は当時も今も変わっていません。そのため原則的に手を加えることなく再掲することにしました。文面から当時の時代背景や論議のポイントを窺い知ることもできることと思います。
ことしの夏、世界の奇術界最大の組織であるIBM(International Brotherhood ofMagicians)とSAM(Society of American Magicians)は合同で「マジシャンに求められる行動規範」ともいうべき新たな規準をまとめ、これを遵守してもらうべく広く世界のマジシャンに呼掛けを行ないました。その内容は以下の6項目となっています。
第1項、2項、3項、5項は、いずれもマジックにかかわるアイデアの保護に関するものであり、それを今回正面からとりあげたことが特に注目に値されるところですが、これ自体は唐突に出てきたステートメントではありません。実はこういった観点でのトラブルが様々な局面で生じており、その都度論議が白熱している極めてホットなテーマだからです。
折しも、伝統あるFISM(マジックのオリンピックとも言われる国際大会)の開催地がヨーロッパ大陸を初めて離れ、来年夏には横浜のみなとみらい21地区で行なわれることになり着々と準備が進められています。とかくバラバラだった日本の奇術界もこれをキッカケとして一致団結した動きになっており、日本奇術界の急速な国際化もこれをもって1つの節目を迎えたと考えられますが、この流れにあわせ、国を超えた様々な論議や国際的な動向を掌握し必要なアクションをとっていくことが今や欠かせなくなってきています。
そこで今回の「新しい規準の提起」を期にマジックのアイデアやオリジナリティの権利保護の動きの意味と、そのバックグラウンドを考えて見たいと思います。
さて、冒頭のIBM/SAMによる規定はどのように理解したらいいのでしょうか。一つ一つの言葉の定義が曖昧なだけに実際にこれを運用するとなると様々な解釈や問題が出て来てしまいます。例えば、
というような様々な視点に対して、前記の各項目の表現を見る限り、具体的に何がいけないのか、どうしたらいいのか、がよく判りません。とはいえ、これらのメッセージが、奇術用具の製作者、販売者のみならず、演者、著者、創案者といったそれぞれの立場の人に幅広く投げかけられているのは間違いないところで、これを法的な側面での検討に加え、いくつかの事例やいままでの論議の経緯を見ながら明らかにしていく必要があります。
ところで権利保護をめぐる論議は欧米では日常茶飯事ですが、日本の奇術界では過去ほとんど活字になったことがありません(種明しの是非についての論議のみといっていいでしょう)。これにはいくつかの原因が考えられます。
1つは欧米に比べて奇術雑誌の数が少ないこととその中でのコラム記事の取りあげ方に違いがあることです。端的にいえば、奇術専門誌の成熟度がまだまだ不足しているということが言えると思います。例えば欧米の GENII, MAGIC, NEW TOPS, ABRA, MAGIGRAM といった誌面を見ると、奇術解説は主体ではなく、もっぱら読み物中心の編集になっており、その中で著作権やコピーの論争が折に触れ行なわれています。ひるがえって日本の雑誌ではマジックの紹介はあってもこの種の論議が紹介されることは皆無に近く、また個人としてコピー問題に関心を持っている方がいても個人個人の解釈がそのままその人の思い込みに留まっている傾向が強いように見受けられます。
その一方で、一部においてはマジシャンの「権利」を守るための動きもなくはありません。例えば、プロを中心とした組織である日本奇術協会は、特に種明かしのTV放映問題に関する限り積極的に問題をとりあげ、その改善を働きかけていますが、基本的にはTV局とは対立しにくい立場にあり、なかなか実効が上がっていないのが実態です。その一つの原因は「種明かし」を法的な問題として取り上げるのでなく、職業奇術師の生活権の問題として取り上げる傾向が強く、結果的に「弱いものからのお願い」といった性格のものとして受けとめられてしまうからだと言えるでしょう。
更に根本的にはマジシャン自身の意識や業界の体質の問題があります。即ち、従来のやり方に疑問があったとしても「あの人もやっているんだからいいのではないか」とか「昔からこの世界はこういうやり方が一般的だから」とか「奇術界というところが狭いところだけにこんなことを指摘すると人間関係がまずくなる」といった意識です。話があまり飛躍してもいけませんが、ここ1・2年、証券業界や建設業界ではその業界慣行が内外から非難をあびました。もちろん奇術の場合は一般消費者の犠牲の下に何かが行なわれているというものではないため、これと対比して考えるのは筋違いですが、いずれにせよ旧来の発想を改めるというところからスタートすることが大切でしょう。奇術の発展とか奇術界の発展のために何が必要かという視点や論議がいまは必要で、そのためにはアマチュア層やクリエーターを含めた業界人がこの論議に広く参画し協力してもらえるような環境を作り上げることが重要です。公益社団法人となった協会の今後の活動を考える上でも大きなポイントになるように感じます。
さて、「知的財産権」はとかく話題になることが多い分野で、GATTのウルグアイラウンドでも協議の対象に取り上げられています。
また著作権はこの知的財産権の一つであるとともに、国際的にはベルヌ条約で多くの国が共通ルールを運用するようになりました。特に89年にアメリカがこの条約に加入した結果、ほとんどの先進国間ではこれを元に係争が容易になってきたということもいえるでしょう。
(注:ベルヌ条約はここで確認できます。
http://www.cric.or.jp/db/treaty/t1_index.html )
ただ、奇術が音楽や一般的な芸能と違う点として、現象やタネのアイデアをどのように位置づけるかというところが問題となります。著作権というのはそもそも文章・講演・演技といったものを通じて個人の思想や感情を表したものに対しそのオリジナリティを尊重しようとするもので、表現形式そのものが保護の対象になりますが、その元になっている発想やアイデア自体は保護の対象にはならないというわけです。ところが奇術の場合、文章なり演技なりをソックリそのまま真似しなくともアイデアを取り入れたり、やり方を若干変えるだけで実質的に盗用することが出来、その意味で著作権だけを視野に入れただけでは解決にはほど遠いということが判ってきます。そこで本稿の中では特許法や最近話題になっている不正競争防止法やトレードシークレットとの関連にも触れていくことになります。
難しい問題提起になってしまいましたが、現状を整理して見るだけでもかなりの事例に対してその是非が比較的明確に判断できます。そういったものをもとに大多数の合意を得られるルールを示すことがまず第一でしょう。そうすれば優れたマジックの創案や解説が促進され、更には一流の奇術師が次々と育つような環境が整っていくのではないでしょうか。