この本はオンリ・デクロン(Henri Decremps :1746 – 1826)が1786年に著した『ジェローム・シャープ面白物理学教授の遺作』(Testament de Jérôme Sharp, Professeur de Physique amusante)という著作です。マジックをセオリーまで含めて広範に説明した世界で初めての解説書と言われています。日本ではあまり知られていませんが、それは英訳本がいまだに出ていないことが一因です。
著者のオンリ・デクロンについては有名な逸話が知られています。弁護士が本業でパリで仕事をしていましたが、のちに英国の裁判所におけるフランス大使館付きの通訳兼書記官として派遣されています。マジックは若い時からの趣味でパリに来たマジシャンの演技はほとんど見ていた彼ですが、有名なイタリア人マジシャンのピネッティ(Chevalier Giuseppe Pinetti : 1750-1800)との出会いが彼の大きな転換点になりました。というのもその出会いをきっかけにピネッティと彼とは仲たがいをするようになり、それ以降相互に敵意を持つようになったことが、デクロンのその後の著作活動の原動力になったからです。
そもそもの発端はピネッティがパリ興行を行った1783年のことでした。デクロンは何度も劇場に足を運び近しく接点を持つようになったところまでは良かったのですが、デクロンが見せた彼のオリジナルをピネッティが勝手に自分の作品として演技に取り込んでしまったことがデクロンを怒らせたと伝えられています。
その結果、デクロンはピネッティへの報復として彼が演じたマジックのタネを暴露した『明かされたマジック』(La Magie blanche dévoilée, 1784)という176ページの種明かし本を出したのです(もちろんすべてが正しく説明されていたわけではありませんが)。
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その翌年の秋、ピネッティはロンドンに現れそこで興行をすることになりましたが、実はその直前にデクロンはロンドンに派遣されていたのです。そこでデクロンが目にしたのはピネッティが宣伝用に観客に売っていたマジックの本で、外観ほどには内容のないお粗末なものでした。このことに更に腹を立てたデクロンはピネッティのマジックのタネを明かした前回の暴露本に続いて『明かされたマジック・補遺』(Supplément à la magie blanche dévoilée, 1785)という本を出版したのです。308ページの大作を一気にまとめたのですから彼の敵愾心がわかろうというものです。それが功を奏したのかどうかは不明ですが、これ以降、ピネッティは二度とパリとロンドンに現れることはありませんでした。
デクロンの行為が良かったのか悪かったのかは、何ともいえませんが、この暴露本のおかげでピネッティの時代のマジシャンがどのようなものを演じていたのかを知ることができるようになったのは間違いなく彼の功績ですし、生涯を通して著した全5冊の著作の中で、今回紹介する『ジェローム・シャープ面白物理学教授の遺作』(Testament de Jérôme Sharp, Professeur de Physique amusante)という350ページに及ぶ著書は「13の原則」を含んだ歴史的にも重要な本として後世に高く評価されるものになっています。
彼のこの著書の序文で書かれている13の原則(セオリー)は、マジックを演ずる上での心得を読者に示したものですが、いまでもマジシャンに広く受け入れられている次のような重要なルールがそこに取り上げられていることで注目されています。
・ これから演じようとするトリックを事前に説明しないこと。
・ 同じトリックを二度繰り返し演じないこと。
・ 同一のトリックを演じることのできる方法をいくつか準備しておくこと。
この3つは “Modern Magic” で示された内容そのものですが、13のすべてについて参考までに以下に紹介しておきます。
ちなみに原本の “Testament de Jérôme Sharp” を含めてデクロンの5つの全著作はすでにJean Hugardが1930年代に英訳を終えていて、出版が何度か試みられていますがその都度頓挫し今日に至っています。
最近出版権が買いとられたと報じられているので近々出版される計画が進んでいるようですが、ここでは仏文からの直訳を試みたものを紹介します。
ちなみに翻訳に当たっては古くからの友人である北村優子氏から多くの力添えをいただきました。
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オンリ・デクロンの『ジェローム・シャープ面白物理学教授の遺作』の タイトルページと13原則が出てくるページ |
これらの項目を眺めると、タネを見破られないよう注意すべき点が繰り返し述べられていますが(同じようなことを言っている項目もある)、全体として重要なことが2点あることに気づきます。
一つは日本における西洋マジックの原点に関する通説への疑問です。
近代のマジックはロベール・ウーダン(Jean Eugène Robert-Houdin : 1805-1871)やホフジンサー(Johann Nepomuk Hofzinser : 1806-1875)に始まると長年日本では伝えられてきましたが、マジックを学ぼうとする人に向けて書かれたデクロンの著作は彼らが生まれるよりかなり前に出版されており、この二人の巨人もこれから多いに学んでいたと考えられることです。
もう一点は、ルールの7、8、9項でもわかるように、その当時すでにかなりの種明かし本が出ていたという事実です。
特にイタリア・スペイン・フランスなどでは多くの種明かし本が出回っていたのですが英訳本の発刊は限られていました。
それがここ10年来Conjuring Arts Research Centerが精力的にGibecière誌上で英訳版を紹介してきた結果、マジック史の見直しが急速に進んでいるというのが現在の状況です。