氣賀康夫

膨らみと窪み
(Convex and Concave)


    <解説>
    奇術に応用できそうな錯視として筆者が注目したものの一つに心理学者がクレーター錯視と呼ぶものがあります。 クレーター錯視というのは、物体の映像があるとき、その影の位置によって凹凸の感覚が逆転するという原理です。 それは日常生活では太陽や電灯が人より上の位置にあることが多いため、画像を見ると、光が上の方向から当たっているという先入観が生ずるための錯覚だと分析されています。 筆者がクレーター錯視を初めて見たのは大学の心理学の授業ででした。 そのとき紹介されたのは大きなタンクの写真であり、表面に鋲が打ってあるのですが、 画像を180度回転すると、鋲が急に凹みに見えるというもで、 思わず授業で歓声をあげた思い出があります。 最近では、心理学の教科書などに本物のクレーターの写真が紹介されていますが、 これも画像を上下逆にすると、クレーターが一転して饅頭状の山の写真に見えます。 今回、奇術に使うデザインは実物の写真ではなくコンピュータグラフィックで画いたようなものです。 なお、このパタンのデザインで窪みがC字状になっているデザインとコの字状になっているデザインとの二つがありますが、どちらかというとコの字の状態に画かれたものの方が錯覚がはっきりします。
    <写真1>A1-A2がC字状のデザイン、B1-B2がコの字状のデザインでです。ご比較ください。

    <写真1>

    <現象>
    術者は二つの額を取り出して示します。二つはとても似たデザインです。術者はさらに二つの額の題名を表示するカードを紹介します。その一つには「膨らみ」、もう一つには「窪み」と書いてあります。額をよくみると、その一つは平面に丸い出っ張りがあるデザインであり、もう一つは平面に丸い窪みがあるデザインに見えます。そこで、それぞれに題名の表示を額に対応させてみます。ところが、ここで、このデザインの作者であるアーティストが登場し、題名が逆であると指摘したという話になります。そこで、題名を逆にしてみますが、それではどうも題名とデザインがちぐはぐです。どうしたらいいでしょうか。ところが、額の位置を入れ替えなくても、額を両方とも上下反対向きにするだけで、不思議なことにデザインが入れ替わったかのように見え、観客はびっくりします。

    <用具>

  1. 上記の演出に用いるデザインは<写真1>の一方がいいでしょう。これを適当なサイズに拡大コピーしたものを二つ作り、同じ額に入れておくといいと思います。デザインは一方を上下逆に配置するのです。興味深いことに、これらは向きによって、丸い模様が「膨らみ」に見えたり、「窪み」に見えたりするのです。
  2. 額の題名として「膨らみ(凸)convex 」「窪み(凹)concave 」と書いたカードを用意します。逆V字にカードを折り、そのまま立てるようにするのが便利でしょう。

    <方法>

  1. 二つの額のデザインは、実は同一なのですが、各々向きが反対になるようにします。額は立てかけられるようにするのがいいでしょう。それをまず観客に示します。観客は二つの額の画像はよく似ているが、一方は凹んでいて、もう一方は出っ張っていると認識するでしょう。
  2. 次に題名のカード2枚を紹介し、どちらがどちらの額の題名かを観客に質問します。観客は額のデザインに対応する題名を正しく指摘するでしょう。
  3. そこで、指定どおりに題名を額に対応させてみせ、首を縦に振り、「そうですね。こちらが『膨らみ』、こちらが『窪み』でよさそうですね。」と確認します。
  4. そこで、次のように話を続けます。「ところで、これを作ったアーティストはなかなか口うるさい方であり、展覧会場に展覧会開場の前日に下見に来られることになりました。そして展示を見て、主催者に題名が逆だと注意をしたのだそうです。そして、アーティストは題名を自分自身で入れ換えてしまいました。」ここまで話をして実際に題名のカードの位置を入れ換えます。すると、一旦題名と額が逆になったよう思うでしょう。「いかがですか、これでは題名と絵が一致しませんよね。」と位置を再確認します。
  5. そして、さらに続けて言います。「そこで、主催者は『先生、どう見ても、さっきの配置で題名が正しいと思いますが…』と恐る恐る申し出ました。ところが、アーティストは、たどたどしい口調でこう言いました。『そもそも、君たちの置き方では、逆が額だ…額が額だ…逆が逆だ…いやいや、つまり、そのオ、額が逆だ。』とおっしゃり、額の向きをひっくりかえしました。」ここで2枚の額の位置をそのままに額の上下の向きを反対に返します。そうすると、驚いたことに一瞬で凸と凹が見事100%逆転します。
  6. そこで、絵が反対になったことをゆっくり鑑賞してもらいます。

    <注>

  1. なお、このクレーター錯視のデザインに属するものを筆者はこれまでに幾つか新に発見しています。 <写真2>は地下鉄赤坂見附の売店の壁の写真です。 なお、現在は売店が改築されたのでこの壁はありません。 これは丸が凸に見える方が逆向きであり、上下逆の凹に見える方が正しい向きです。
  2. <写真2>

  3. また、<写真3>の手の形をした見事な砂の彫刻の写真がありました。これは筆者が偶然に見つけたものです。上下によって、手の形が砂に手をついたときの穴にも見えるし、立体的な砂の彫刻のようにも見えるものです。これも字が正しく読める方の像が逆であり、手の形が凹んで見える方が正しい向きのようです。
<写真3>
<写真3> 上下反転
  1. 筆者がはじめて見てたいへん感心したものに、<写真3>の映像があります。

    <写真4>クリックで上下反転を表示

    これはたいへん興味深いデザインです。最初にこれを観ると何の写真かが全くわかりません。 ですから、これをまず見せて、「これは何の写真だと思いますか?」と質問するのが面白いでしょう。 「わかりませんか?では種明かしをしましょう。これは実は鹿の写真なのですよ。」と言うのです。 観客はそう言われても何のことかよくわからないでしょう。 そこで、やおら写真の上下を逆にすると、突然鹿の像が認識されて、びっくりすることでしょう。その一瞬の感覚は感動的ですらあります。よく見るとこの写真はなにかわからない方が実像のようです。おそらく作者が逆向きにすると鹿が見られるようにと企画して意図的に作った作品でしょう。

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