氣賀康夫

飛行する鷲
(Flying Eagles)


<解説>

コイン奇術書の古典といえばJ.B.Boboが書いたModern Coin Magic(初版1952 年)があげられます。この本に著者自身の作品であるトラベリング・センタボズが紹介されています。
筆者はこの手順に興味を持ち、1960年ころからそれを愛用してきましたが、あるとき、この手順の問題点に気づきました。それはこの奇術がテーブルで演ずるクロースアップ奇術として構成された手順であるにもかかわらず、奇術の現象が起こる瞬間に、術者が左半身に構えなればならないという技術的な制約があるという点です。観客の方に正面を向いて演技をしていた術者が、現象が起こるときだけ、突然横を向くのはどう考えても不自然であり、筆者は何とかして、術者がテーブルに真正面を向いた姿勢を保ったままでこの奇術を演ずることができないかと考えはじめたのでした。そして、うまい解決策が思いつかないまま約40年のときが経過しました。ところが、幸運にもあるとき別の奇術を研究している過程でこの長年の懸案が解決することになりました。こうして完成したのがここに解説する「飛行する鷲」です

<効果>

この奇術のプロットは、右手で4枚のコインを一枚ずつ空中に放るようにすると、それが手を離れて、空中を飛んで左手が持っているグラスに移動するというものです。
それを連続写真で鑑賞してみることにしましょう。

写真1
グラスを振ると音がする
写真2
左手に中身を出す

写真3
グラスの中を覗く
写真4
グラスを置き

写真5
コインを右手に放り
写真6
右手はコインを置く

写真7
左手はグラスを見せる
写真8
コインを一枚取りあげ

写真9
空中に放る
写真10
グラスがチャリン!という

写真11
グラスのコインを出す
写真12
コインをよく見せる

写真13
コインを右手に取る
写真14
コインをグラスに落とす

写真15
2枚目を空中に放る
写真16
チャリン!グラスのコインを出す

写真17
2枚をよく見せる
写真18
1枚目をグラスに落とす

写真19
2枚目をグラスに落とす
写真20
3枚目を空中に放る

写真21
チャリン!
写真22
コインを左手に出す

写真23
1枚目
写真24
2枚目

写真25
3枚目をグラスに
写真26
最後のコインを

写真27
右手に渡す
写真28
それを空中に放る

写真29
チャリン!
写真30
コインを左手に出す

写真31
グラスの中を覗く
写真32
グラスの中を見せる

写真33
コインを1枚ずつグラスへ
写真34
グラスを揺する

写真35
最後の4枚目をグラスに入れる
写真36
終わり!

<用具>

1.コインはトラベリングセンタボズでは、メキシコのコインが用いられていますが、この「飛行する鷲」ではアメリカのハーフダラー(50セント銀貨)を用いるのを標準とします。アメリカのハーフダラーには鷲の絵がデザインされていますが、それは鷲がアメリカの国鳥とされているからです。この奇術の題名はこの鷲を題名にしています。なお、用いるコインは観客の目から見ると4枚なのですが、実はエクストラコインを一枚使いますので、用いるのは合計5枚です。

2.グラス一個、半分透明、半分不透明デザインのグラスがお勧めです。日本には切子細工のグラスに適当な品がありますが、ベネチアングラスのタンブラーも適当です。トラベリングセンタボズの場合にはBoboは革のダイスカップを使うことを推奨しています。
普通の透明なグラスを使わない理由は、グラスにコインがあるのがよく見えないので、コインを出して確認するという動作が合理化されるからです。奇術の構成ではこのようなきめ細かい配慮が大切なのです。

<準備>

演技に先立ち、グラスの中にコイン五枚を入れて置きます。

<手順>

この手順では、観客に見えないように一枚のエクストラコインを使いますが、その一枚の存在がわからないように手順を進めることが大切です。そのために、手順を始める前のあらための手続きと、手順が終わった後の自然なあらための動作が用意されています。また、4枚のコインの処理は見たところ同じことを繰り返しているように見える様構成されていますが、実は、使われる技法は4回のコインの飛行についてそれぞれ異なる原理を使い分けており、同じ原理が繰り返し使われることがないように配慮されております。

<プロローグ>

プロローグの趣旨は、第一段からの演技に先立って、グラスの中にあるコインを取り出して確かめて演技の準備をすることです。
1.テーブルの中央にコイン5枚入りのグラスがあります。術者が右利きであるという想定で、右手でグラスの手前側に拇指、向こう側に四本指をあて、グラスを取りあげ、「ここにコインが入ったグラスがあります。」と言って、それをゆすり、コインがチャリンチャリンと音を立てるようにします。<写真37>次に、グラスの口が左に向くように傾け、コイン五枚を左手の掌に落とします。<写真38>

写真37
写真38

2.そうしたら、右手のグラスを元の向きに戻し、何気なく、その口を少し手前に傾け、顔をグラスの上に持ってきて、その中を覗きこむようにします。これは何でもないような動作ですが、実は、次の動作のための大切なミスディレクションになっているのです。

3.次に演者としては、コインを取扱うため、右利きの演者としてはグラスを置いて、コインを右手に持ち変えたいのです。そこで、右手でグラスを一旦テーブルの中央に置き、同時に左手のコインを右手に放り込みます。このとき、一枚のコインを左手の拇指で押さえて、実際にはコインが四枚だけ右手に放り込まれるようにします。<写真39>

写真39

4.左手に隠し取ったコインを拇指で調節し、フィンガーパームの位置で保持します。ここで演者はコインをテーブルの上に並べたいのですが、そのためには今度はグラスが邪魔です。そこで左手で左からグラスを掴み取ります。<写真40>
同時に右手でコインを一枚ずつ無造作にテーブルの上に横一列に並べていきます。<写真41>そうしたら、左手でグラスの口を観客の方に向けて中が空である事を見せます。<写真42>

写真40
写真41

写真42

<第一段>

5.次に、左手でグラスをテーブルに置き、右手でテーブルの上の一番右のコインを取りあげ、それを空中に高く放りあげてそれを同じ手で受け取ります。そして、右手のコインを掌に乗せて、よく観客に見せます。

6.この間にコインをパームしている左手がグラスを上から掴み取ります。指の位置は拇指が手前側、中指が向こう側です。左手の薬指はフィンガーパームに使われていますから軽く曲げたままでいいでしょう。<写真43>

写真43

7.次に、右手のコインを先程と同じように空中に放りあげる動作をしますが、今回は、コインを放らず、その動作でコインを右手にクラシックパームします。<写真44>

写真44
親指と中指で保持
中指で掌に押し付け、クラシックパーム

この動作では大切なことが幾つかあります。まず、放りあげる動作で右手の拇指の動きが目立たないように、右手を少し時計の反対方向に捻り気味にして、拇指が他の指の陰になるように配慮するといいでしょう。それから、放りあげる動作で、放りあげた瞬間は五本の指を伸ばす方がよいのですが、次の瞬間には指の力を抜いて、指が軽く曲がるような自然な手に戻すことが大切です。<写真45>こうすると、観客にはコインが空中で消えたように見えます。

写真45
放る動作の瞬間(指を伸ばす)
次の瞬間(指を軽く握る)

8.この右手がコインを放りあげる動作を行った次の瞬間に、左手のフィンガーパームを緩めて、コインがグラスの中にチャリンと音を立てて落ちるようにします。観客には、コインの音だけが聞こえます。

この7、8.の動作のリズムですが、右手がコインを放り投げる動作をしてパームしたら、術者は視線でそのコインの仮想上の軌道を追いかけるようにしながら顔を上に向けます。次に左手のコインをグラスに落としたらチャリンと音がしますから、その音を聞いて術者は顔を下げて視線をグラスに向けます。

<第二段>

9.このコインがグラスの中でチャリンと音を立てた瞬間、観客の注意は左手に集中しますから、そのタイミングをとらえて、右手をそっと下げ、クラシックパームされていたコインをフィンガーパームの位置に移動します。<写真46>

写真46

10.左手でグラスを一旦テーブルの上に置きます。そして、コインをフィンガーパームしている右手でグラスを取り、それをゆすってチャリンチャリンと音を立てます。

11.次にグラスの口を左に傾けて、中のコインを左手の掌に落とします。<写真47>そして、右手のグラスをテーブルに置きます。右手にはコインが1枚フィンガーパームされたままになっています。

写真47

12.左手のコインをフィンガーパームの位置に持って観客に示し、それをグラスの後方あたりの位置に持ってきます。そして、コインをフィンガーパームしている右手をそこに持ってきて、両手の指を合わせて、その右手の指先で左手のコインを拾いあげようとします。<写真48>

写真48

ただし、コインを持ちあげるのは動作だけであり、左手を掌が術者の方を向くようやや回転し、右手でコインを取りあげる動作はそのまま続けて、右手をグラスの上まで持ってきて右手のコインをグラスの中にチャリンと落とします。このコインのすりかえは大げさにやろうとしてはいけません。何気ない自然な動作で実行しなければなりません。特にすり替えの直後に右手のコインを観客にことさらよく見せようと指先に持とうとするのは不自然な動作であり、それは避けた方が良いのです。

13.右手でテーブルの上の二枚目のコインを取りあげ、空中に高く放りあげてそれを受け取ります。その間に、左手はコインをフィンガーパームしたまま、前と同じ動作でグラスを上から掴み取ります。

14.右手の掌のコインをよく見せます。次に、右手のコインをもう一度上に放りあげる動作をしながら、コインをサムパームします。当然、コインは右手の手前側に隠されるようになり、右手の指先はほぼ真上を向きます。コインが放り投げられる動作が終わったら、やはり右手の指は自然に緩めて指先が曲がるくらいが自然です。

15.前と同じ要領で、この瞬間に左手でフィンガーパームしたコインを緩め、グラスの中にチャリンと落としてやります。

<第三段>

16.コインがチャリンと音を立てた瞬間に右手を下げて、サムパームされていたコインをフィンガーパームの位置に移します。<写真49>左手はグラスを一旦テーブルの上に置きます。

写真49

17.右手でグラスを取りあげ、グラスをゆすり、チャリンチャリンと音を立てます。

18.次に、右手でグラスの口を左に傾け、空の左手の掌に二枚のコインが一枚ずつ落ちるようにします。<写真50>

写真50

19.グラスをテーブルに置きます。左手を広げ、掌にある二枚のコインが観客によく見えるようにします。
このとき、左手の指先がやや右の方向を向くようにします。それは次の動作との関連です。また、左手のだいたいの位置は、グラスの真後あたりが適当です。このとき、左手のコインは、一枚が指先、もう一枚が掌の中央にあるのが理想です。<写真51>

写真51

必要なら、右手の食指で左手のコインの位置を調整してもいいですが、できれば、左手を揺すって右手を使わずにコインの位置を調整したいと考えます。

20.ここで、まず、右手の指先で、左手の指先に近いコインを拾いあげ、それをグラスの中にチャリンと落とします。次に、右手の指先で左手の掌中央付近にあったコインを拾いあげようとします。すると、右手にフィンガーパームしていたコインは左手の指先の丁度真上の位置に来るでしょう。そこで、右手の指を緩めて、そっと、フィンガーパームのコインを左手に落としてやり、それを左手の指で受け取るのです。受け取った左手は手の甲が観客の方向を向くように若干回転させて、かつコインをフィンガーパームに保持します。右手のコインをグラスにチャリンと落とします。

21.左手でグラスを上から掴みます。右手で三枚目のコインを取りあげ、空中に高く放り投げてこれを受け取ります。次に、コインを再度空中に放り投げる動作をしながら、右手でコインをクラシックパ-ムします。

22.次の瞬間に左手のフィンガーパームを緩めてコインがグラスの中にチャリンと音を立てて落ちるようにします。

<第四段>

23.そこで、右手のコインをクラシックパームからフィンガーパームに持ちかえます。左手のグラスをテーブルに置きます。次に右手でグラスを取りあげ、それを揺すってコインの音を聞かせます。次にグラスの口を左に傾け、コイン三枚を左手の掌に落とします。そうしたら、グラスをテーブルに置きます。

24.コインをフィンガーパームしている右手の指先で、左手のコインを一枚拾いあげ、堂々とグラスの中に落とし「一枚」と言います。このとき、右手の指先がグラスの中にかなり入るようにするのが良いでしょう。

25.次に右手で二枚目のコインを拾いあげ、グラスに落とします。このときも、右手の指をグラスの中にかなり入り込むようにするのが良いでしょう。落としながら、同時に右手のフィンガーパームされていたコインがグラスに落ちるようにします。タイミングが悪いとコインがチャリンという音が二重に聞こえてしまいますが、タイミングがよければ、チャリンという音はやや大きい音になるものの、音が一回しかしないので、観客はコインが二枚落とされたとは気が付かないものです。<写真52>コインがチャリンと言ったら「二枚」と言います。

写真52

26.最後に、右手で三枚目の最後のコインを拾い上げ、公明正大にグラスの中に落とします。このチャリンという音にあわせて「三枚」と言います。このとき、何気なく右手が空であることを示します。

27.右手でグラスを取りあげ、それを揺すってチャリンチャリンと音を立てます。そして、その間に、左手はテーブルの上の最後のコインを拾いあげ、空中に高く放り投げ、それを左手で受け取ります。

28.コインを受け取ったら、そのコインを左手の拇指と食指の間に持ちます。このとき、コインの面は拇指と食指を結ぶ面と平行でなければなりません。<写真53>この持ち方をするために、もたもたしてはいけません。左手の指先だけで位置を調整するように練習しておく必要があります。

写真53

29.右手はグラスをテーブルに置きます。そして、コインを一枚持っている左手の小指の下に空の右手を、掌を上に向けて持って来ます。だいたい右手の四本指の指先が左手の小指の下5cmくらいの位置に来るのがよいでしょう。ここで、左手をやや内側に回転させつつ、左拇指のささえをはずしてやると、そこに垂直になっていたコインは拇指のささえを失い、パタンと倒れ、左手の中指と薬指の真中あたりに水平になって止まるはずです。<写真54>

写真54

この瞬間に左手を右手に触るくらいの位置に持ってくるようにタイミングを合わせ、同時に右手をキュッと握ると、観客からはコインが右手に投げ入れられたように見えることになります。この動作は石田天海師が愛用していたコインのフェイクトスの技法です。

30.次の瞬間、右手のコインを持っている振りをする右手を、握りこぶしにしてそれを揺すってみせます。これは手に何かを持っているという印象を与える巧妙な動作です。コインをフィンガーパームしている左手でグラスを上から掴み取ります。

31.右手でコインを空中に放り投げる動作をしながら、空の右手を開くとコインが消えたように見えます。この瞬間右手の掌は上を向くでしょう。この向きでは観客にはその手が空かどうかがよく見えません。そこで、右手の指先をこすりあわせながら、最後に掌を観客の方に向けて公明正大に手を開くとのがいいでしょう。

32.左手にフィンガーパームしていたコインを緩め、グラスの中にチャリンと落ちるようにします。

<エピローグ>

33.まず、左手でグラスを一旦テーブルに置き、右手でそれを取りあげ、それをゆすってチャリンチャリンと音をたてるようにします。そうしたら、グラスの口を左に向け、コイン五枚全部が左手の掌に落ちるようにします。左手は薬指と小指のあたりにコインを五枚揃えた状態で保持します。

34.左手がコインを受け取ったら、直ちに、右手はグラスの口が一旦上を向くようにし、術者はそれを上から覗き込みます。これはこの奇術の最初にやった動作と同じです。次に、その口が観客の方を向くようにグラスを回転してやります。<写真55>観客からグラスの中がよく見えます。

写真55

35.この間に、左拇指で五枚のコインのうち上四枚のコインを食指の先の方向に押し出してやります。そうすると、底の一枚だけが元に位置に残り、上四枚と別に保持される状態になります。<写真56>

写真56

36.右手のグラスの向きを戻して口が上を向くようにして、左手の一番上のコインを左拇指で押し出しながらグラスの中にチャリンと落とし、「一枚」と言います。<写真57>右手でグラスを揺って音を立てます。

写真57

37.次に、同じ動作で、二枚目を左拇指で押し出し、グラスの中に落として「二枚」と言います。右手でグラスを揺すって音を立てます。

38.左手拇指と中指で次の二枚(最後の一枚とずらして保持されていた二枚)を挟みつけ、この二枚を一緒にグラスの中に落として「三枚」と言います。<写真58>右手でグラスを揺すって音を立てます。

写真58

39.ここで、グラスを一旦テーブルの上に置き、左手に残っている最後の一枚のコインを右手の指先で摘みあげます。このとき、指をよく開いて、他のものは何も持っていないということを公明正大に示すのが良いでしょう。左手でグラスを取りあげます。そして、右手の指先のコインをおもむろに左手のグラスの中に落として、「四枚」と言います。

40.左手のグラスをテーブルの上に置いて、両手を軽く示して手が空であることを暗示し、演技の終了とします。

<後記>

ところで、この手順では、熟練を要しコイン奇術マニアが「俺は上手いだろう」と誇らしげに演じたがるようなファンシーな技法は何一つ使われていません。採用されているのはごく平凡な手法ばかりです。
大画家マチスは晩年に「技巧の極致は平易にあり。」と語ったと言われていますが、筆者は、観客にとっていい奇術というものは演技者が「俺は上手いだろう、奇術家も感心するだろう。」というものである必要性は全くなく、この手順のように平易であってよいと考えています。その理由は、奇術というものは演技者が楽しむべきものではなく、観客が楽しむべきものであると認識しているからです。

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