カンガルー・コインズは二十世紀を代表する大奇術研究家ダイ・バーノンが創作したコインマジックの傑作です。
1946年にThe Stars of Magicで発表されましたが、その後、これをレパートリーにしている人はあまり見かけません。筆者はこれを愛好し、今日まで60年演じ続けています。
難しい技法は何ひとつ使っていないのですが、実は、一段階一段階が全体的動作の巧みな作戦によって構成されているので、それを正しく実行するためには相当の熟練を要します。
この手順は、近代奇術のミスディレクションのお手本のような作品であり、これがうまく演じられると、「なるほど、こういう動作をすると秘密の動作に気づかれないのか」ということを自ずと納得させられます。活用する手法は主にコインを密かに術者の膝に落とすラッピングと呼ばれる技法です。ラッピングは動作自体がやさしいので、安易に使っている奇術家が多いのですが、露骨にやるとすぐ発覚してしまいます。
このバーノンの手順では、すべてのラッピングに巧妙なカバーの動作が用意されているので、見ていると奇術というよりは魔法のように見えます。ところで、筆者は原作に欠点がない場合には、原作通り演ずるのがベストと考えています。このバーノンの手順はそれを変えるべきという箇所は見当たりません。それほど完成度が高い作品です。
ただし、筆者が検討の上に検討を重ねた結果、若干修正している箇所があります。それ関してはその都度説明するようにします。
グラスを一個用いて、テーブルの上から、テーブルの下のグラスにコインが貫通する現象を4枚のコインで、4回実現します。同じ手法は二度と繰り返し使われることが無く、第一段から第四段まですべて違う手法が採用されています。では、以下にその現象を連続写真でご紹介いたします。<写真1-21>
写真1 グラスと4枚のコインがある |
写真2 コインを左手にのせる |
写真3 左手を拳にし、右手でグラスをあらためる |
写真4 右手はグラスをテーブルの下へ 左手をテーブルに打ちつける |
写真5 左は3枚となり グラスに1枚入っている |
写真6 3枚を左手に放る |
写真7 1枚をグラスにもどす |
写真8 右手でグラスを振る |
写真9 右手でグラスをテーブルの下へ 左手をテーブルに打ちつける |
写真10 左は2枚となる 右手でグラスの2枚を出す |
写真11 グラスの左右にコインが2枚ずつある |
写真12 左右の手で2枚ずつを拾いあげる。 |
写真13 右手の2枚をグラスに戻す |
写真14 左手をテーブルに打ちつける |
写真15 グラスから3枚が登場する |
写真16 グラスをテーブルに置く |
写真17 最後の1枚を左手に取る |
写真18 右手で3枚を拾いグラスに戻す |
写真19 グラスを揺する |
写真20 左手のコインをテーブルに押しつける |
コイン4枚.:バーノンはハーフダラーを使っていたようです。
グラス:バーノンはオールドファッショングラスを使っています。ウィスキ―好きのバーノンにふさわしいです。なおタンブラーもいいと思います。
1.まず、テーブルにコインを一列に並べます。その右側にグラスがあります。
2.右手を使って、四枚のコインを左手の掌に無造作に並べられます。そして、このうちの一枚が左手を握って裏返す動作の間にラッピングされることになります。ラッピングのカバーは右手でグラスの中をよく見せる動作です。この第一段を成功させるためには、最初の左手の位置が大切です。それは左小指の根元がテーブルの端から2cmくらい前に進んだあたりの位置です。この位置を間違うと、後に左手が不自然な動きを強いられることになります。<写真22>はコイン四枚が左手に並べられたところです。
このまま手を握りつつ、薬指先で向こうから三枚目のコインをおさえ、手首を180度回転させ、甲が上を向くようにします。すると、4枚目のコインが手の陰で自然に膝に落ちます。こうして、左手を握ったら、そのまま甲を上に向けて15~20cm前方に移動して、そこの空中に握り拳を待機させるようにします。(バーノンの原案では三枚目のコインを左手のクラシックパームのように保持するという作戦を提案していますが、ここに説明する薬指で三枚目を押さこむ作戦の方がはるかに易しく、それでいて効果は変わりません。)
3.この左手を返して握るタイミングで、右手でグラスを取りあげ、その口を観客の方に向けてそれが空であることを示します。術者は左手を握り始めたら視線をグラスに移してそれに注目し、そのグラスの方に右手をのばさなければならなりません。
4.グラスをよくあらためたら、ここから、右手はグラスをテーブルの下に運び、膝にあったコインを拾います。
5.左手をひらきながら、テーブルの上にコインをパシッとたたきつけます。
6.右手でコインをグラスに落としてチャリンと音を聞かせます。なお、左手がコインをテーブルにたたきつけるバンという音とテーブルの下でコインがグラスに落ちるチャリンという音とは真が一瞬(0.5秒程度)ずらす方が効果的です。
7.左手を開いてテーブルの上のコイン3枚を示し、右手はグラスをテーブルの上に持ってきて、1枚のコインがテーブルの上にこぼれ落ちるようにします。
8.第二段では、3枚のコインを右手で揃えて拾いあげて、それを左手に放り込んで左手を握る動作をします。ただし、実際には、コインを拾いあげたら、<写真23>のように拇指でコイン一枚を密かに引いておき、3枚と見せかけてコインを2枚だけが左手に放り込み左手を握ります。
9.ここで、右手は拇指でコインを引き、フィンガーパームします。
筆者の方法ではそのコインの位置は中指、薬指の第二指骨の位置に調整します。そして、<写真24>のように、そのフィンガーパームした手の拇指と食指でグラスから出てきたコインを拾いあげ、グラスに戻し入れます。
さて、原案では、ここから右手の拇指をグラスの左側に当て、他の指をグラスの右側に当ててグラスを保持し、それを手前に引いてきてそれがテーブルの端をクリアする瞬間に、右手のフィンガーパームのコインを密かに膝に落とすという作戦を採用しています。
筆者はこの第二段のラッピングの作戦だけはどうも手の動きが不自然になりやすいと感じました。
写真24 |
写真25 |
そこで、第二段では、ラッピングを止めにして、コインを隠している右手で、<写真25>のように、グラスをやや高目に持ちあげて振るという動作を行い、観客に右掌が自然に空に見えるようにするという作戦をとることにした。このやり方はラムゼーサトルティと呼ばれる作戦ですが、その方がかえって動作全体がスムーズであり、あらためもそれで十分であると感じます。
このダイ・バーノンのカンガルーコインの手順には欠点がほとんどなく、この個所以外には、筆者が原作を変えようと思ったところは一ヶ所もありません。
10.次に、左手でコインをテーブルにたたきつけ、右手でテーブルの下でコインをグラスに落としてチャリンという音をたててから右手でグラスをテーブルの上に出し、そのなかの2枚のコインをテーブルの上に出します。
11.今度は、グラスを中央に置きます。そして、左右にコインが二枚ずつ横に並べられた状態からことが始まります。この三段での作戦は、左右の手でコインを2枚ずつ取り、右手のコインをグラスに戻し、その間に左手のコイン1枚を密かにラッピングすることです。原典では、右手がコインを拾いあげる動作してから、左手がそれと同じことをすると解説していますが、実際に演じてみると、左右の手の動きを同時進行に近くし、しかもそれが微妙にずれるようにすると、右手の動作にまどわされて、左手のラッピングが見事にカバーされることがわかります。音楽の方でいうとオフビートとかシンコペーションという感触のタイムラグ作戦です。左手が右手より半拍遅れて行動する感じが丁度よいと思います。<写真26>から<写真31>までがその動作を連続図で示したものです。<写真32>は<写真30>の左手を拡大した姿であり、外側(左)のコインがラッピングされる直前の状態を表わしています。
写真26 |
写真27 |
写真28 |
写真29 |
写真30 |
写真31 |
12.右手が2枚のコインをグラスに戻したら、右手でグラスを持ってゆすり、テーブルの下に持っていきます。
13.左手がコインを一旦握り、それをテーブルにたたきつけ、右手はコインをひざから拾ってグラスに入れてチャリンと言わせ、それをテーブルの上に持ってくるところは、第一段、第二段と変わりません。第三段では、グラスからは3枚のコインがテーブルの上に出てきます。さて、ここで、グラスを何気なく左側に置くということが次の第四段の進行にとって大切な点です。これは忘れてはなりません。
14.最後の第四段では、コインの消滅はコインが1枚しかない状態で実行しなければなりません。実は、通常この種の手順を構成しようとすると、この最後の一枚の処理が技術的に最大の難所となります。ところがバーノンは誠に巧妙な作戦を立案し、この困難を造作なく解決してしまいました。
ここれほど露骨なラッピングがこれほど何の疑いも持たれずに実行されるのは信じがたいことです。その巧妙なアイディアをとくと味わっていただきたいと思います。
まず、左側の最後のコイン1枚を左手で拾い、この手を握り拳にしてテーブルの上に待機させます。このときの手の位置はテーブルの端から10cmは離れていなければなりません。
15.そして、右手は<写真33>のように3枚のコインを拾いあげて掌の上に示します。
16.さて、ここで右手はコインをグラスに戻すために、左側に置いてあるグラスの口の真上に持って来なければならないのですが、左手がその動作の邪魔になる位置にあります。そこで、邪魔にならないように右手の動作とタイミングを合わせて、<写真34>に示すように、無造作に左手をテーブルの端まで引いて来ます。ここで、右手は堂々とゆっくりと時間をかけて3枚のコインを1枚ずつグラスに戻します。その間に左手はそっとコインを膝に落します。このとき、左手の指をなるべく動かさないようにすることが肝腎です。
17.右手が仕事を終えたら、その右手でグラスをつかみ、<写真35>に示すように、再び元の位置に戻ってきます。このときに、左手もそれにあわせて向う方向に移動し、元の位置に戻します。そうしたら、右手はグラスをゆすってみせます。中でコインがジャラジャラというでしょう。
18.右手をテーブルの下に持って行き、ひざからコインを拾う。
19.最後に、左手をテーブルにたたきつけ、同時に右手のコインをテーブルの裏にたたきつけて下でコインをテーブルの下面にぶつけるようにして音を出します。そして、一瞬、間を置いてから、右手で持っているコインをグラスに落とし、チャリンという音を演出してから、グラスをテーブルの上に持ってきます。
20.コインをグラスからテーブルの上に出すとコインが4枚であることがわかります。
<注1>ラッピングの準備
1.この手順を演じようとすると、コインが落ちてくる膝に何らかの準備が必要ではないかという問題に必ず遭遇します。筆者の恩師である故高木重朗氏は太った方だったので、両膝がくっつくように脚に少し力を入れるだけで、両脚の間にコインを受け止めることができていました。ところが、筆者が同じことをするとコインは両脚の間から床にチャリンとすべり落ちてしまいます。それは筆者が生来のやせだからです。
2.お勧めの方法の一つは、ズボンの一方の脚の部分の生地を引っ張って、反対側の脚の部分にピッタリと重ねるという案です。ただし、最近流行の細めのズボンでは、生地の幅がそれには足りないことがあるでしょう。
3.なお、密かに脚を組むと、両脚と腹の間に三角形の盆地か形成されるので、そこにコインを落とすという作戦もありえます。この場合、盆地の大きさがかなり限定されたサイズになるので、脚を動かしてコインを落とすところに盆地の位置を調整する配慮が必要となるでしょう。
4.筆者はしばしば食卓に用意されるナプキンを膝の上に広げておくという作戦を用います。ナプキンがない場合にはハンカチを代わりに用いるのも一策です。ただし、このような準備をする場合には、ひざに何か置いたことが重要なことであると観客に思われないように配慮する必要があります。
5.なお、日本座敷で和風のチャブ台で演ずる場合には、術者は座布団を敷き、ほぼ正座の姿勢をとり、両膝をややひろげてコインが膝の間の座布団の上に落ちるようにするのがよいと思います。これは楽です。
<注2>コインの拾い方
1.膝におさまったコインを拾ってグラスに入れてチャリンと音をさせるのも、あまりやさしい動作ではありません。グラスを両膝の間に挟めれば、コインを右手で拾ってグラスの中に落とすこともできるのですが、そうしようとすると、膝の間がだんだんに侵食されてきて、次のラッピングでコインが転がって膝の間から床に落ちるというアクシデントに会うこともありえます。だからグラスを膝にはさむのは必ずしも賢い方法とは言えません。
2.密かにグラスを、中のコインが滑り出さない範囲で、なるべく横向きに近い角度に傾けてひざに置き、その口からコインを放り込むという案もあります。これはなかなかいい方法です。
3.なお、筆者はグラスを右手で持ち、テーブルの下に持っていったら、グラスを中指、薬指、小指の3本でささえ、拇指と食指を遊ばせておいて、その2本でコインを拾い、然る後に、グラスの中に落とすというような工夫をしたりしています。ただし、この場合、グラスが横を向いて中のコインが飛び出すリスクがあるので注意が必要です。
4.なお、テーブルの下での右手の動きが観客から目立たないようにするための常用のテクニックは右腕の上腕部をテーブルの端にピタリとつけてしまい、下椀部を左方向から手前に向かって時計と反対方向に回転させて膝の上の作業を実行するという手法です。右手の動作が気になる場合にはこのテクニックを活用するのがよいと思います。