これまでに基本技法の「パーム」とそのパームを活用した「嘘の手渡し」を解説しましたが、今回は独立した技法としての「嘘の手渡し」の方法を厳選して解説いたします。
「嘘の手渡し」については、近代コイン奇術の研究家がいろいろ優れた方法を開発して提案しています。
その種類はいろいろですが、コインをもう一つの手にただ置く動作の場合にはその技法をFake Placementと呼ぶことができ、またコインを持ち、もう一方の手でそれを取りあげる場合にはFake Pick-upとかFake Liftと呼ぶことができるでしょう。さらには、コインを手から手に放る動作の場合にはその動作のニュアンスによってFake Toss、Fake Pitch、Fake Throw、Fake Dropなどと呼びたいというケースもあるでしょう。いろいろな方法の中から筆者がこれは大切にしたいという優れた方法を以下にご紹介することといたします。
なお、この「嘘の手渡し」のような技法の場合には、「術者が何をするのか?」ということも大切ですが、それ以上に大切なのは、「それが観客からどう見えるか?」という点です。そこで、以下の解説では観客の目から見た姿を連続写真形式でご覧に入れ、肝心の秘密の動作の部分は手元をクローズアップして説明するようにいたします。
この方法は、誠に優れた方法ですが、意外なことに、あまり本に紹介されておりません。その方法をここに詳しくご説明いたします。
右手でテーブルのコインを取りあげると仮定しましょう。その動作では指と中指が主役です。取り上げたら、指が垂直になるようにしてコインを持って観客に示します。<写真1>
拇指が術者側、他の四本の指が観客側に位置しています。このときコインの表面がなるべく多く観客に見えていることが望ましいです。少なくとも表面の2/3くらいが観客から見ている方がいいでしょう。なお、このタイミングでは手の指の間が少しあいていてもいいと思います。さて、次にこのコインを左手が取りあげる動作を行います。そのためには左手は、コインの左側からコインに近づき、術者側の拇指と観客側の四指(小指は緩めておく)とでコインを摘まむ動作をいたします。このとき、左手の四指がコインの観客側の面を覆う姿となります。<写真2>ここからがこの技法の大切なところです。
左手の四指がコインを隠しているタイミングで、右拇指のオサエを緩めます。するとコインは支えを失い引力の作用で真下に落下します。そして右手の中指の付け根あたりのフィンガーパ―ムの位置に近いところで止まることでしょう。<写真A>このときは、右手の指の間の隙間はなくしておく必要があります。
そうしたら、左手はコインを指で摘まみ取ったようにふるまい、<写真3>の位置まで動かします。
この間、右手はほとんど動かない状態です。最後には左手も右手も指先がやや斜め内側向きになるのが自然だと思われます。
写真3 |
写真A |
この技法はよく知られた古典的な技法であり、参考のためここにご紹介しておきますが、実はあまりお勧めの方法ではありません。
このフレンチドロップという手法はコインが確かに反対に手に手渡されたという錯覚が強いという特徴を持っています。
しかし、コインの持ち方と取りあげ方が仰々しいので、現代のコイン奇術研究家はこの技法を避ける傾向にあります。この技法はコインでなく玉(たとえば紙玉)の場合には自然な動作になります。
この技法を実行するときには右手でコインをテーブルから取りあげるとしますと、右手だけで<写真4>の右手の姿を実現する必要があります。ところがこの持ち方は普段は使わない持ち方であるため片手だけでその動作を実行するのが結構たいへんなのです。そのため、右手で拾いあげたコインを左手を使ってその位置を調整する人や、あるいはコインを左手で拾いあげてそれを右手に<写真4>のように置いてからこのフレンチドロップをしようとする人がよくありますが、それは絶対に避けなければなりません。その理由は、そのような動作をすると、その動作とフレンチドロップそのものの右手のコインを左手に取るという動作とが理屈のつかない動作の組み合わせになってしまうからです。
<写真4>が出発点ですが、このとき、右手の拇指が上になり、四指が下になっており、指先が観客の方を向いているという手の向きにご注目ください。そしてコインの表面は観客の方を向いています。
次に左手が右手のコインを取りに行きます。両手が一緒になるタイミングが<写真5>です。そして、左手はコインを摘まんで指先に持ち、それを左上に移動する動作をします。その結果が<写真6>です。<写真6>では、右手の拇指と中指の距離がコインを持っていた写真4と同じくらい開いたままであることにご注目ください。
写真5 |
写真6 |
この<写真4>から<写真6>までの動きで、右手拇指と中指が挟み持っていたコインが見えなくなることで、コインが左手に取り去られたと観客は感ずるわけです。この技法の秘密は<写真5>の場面にあり、実はここで右手拇指の支えを外すのです。するとコインは支えを失ってパタンと倒れて中指薬指の第二指骨あたりに着地します。<写真B>
<写真6>の場面でも、コインはその位置にあるのですが、ちょうど指の陰になっていて観客のからは見えないのです。なお、<写真6>の左手はコインを摘まんでいる姿ですが、筆者がどうしてもフレンチドロップをしろと言われたらこのようにしたいです。古典的にはこのとき左手でコインを握りしめて拳にするのが常道でした。その動作はさらに大げさだと思います。<写真6>くらいの姿勢の方がより自然と考えられます。
次に取りあげる方法は、前回取りあげたRetention Vanishとほぼ同等の効果を実現します。
そしてこの方法の方が易しいと思います。
まず、<写真7,8,9>を続けてみてください。 <写真7>で右手指先が持っているコインが<写真8>で左手に手渡され、<写真9>ではコインを受け取った左拳は左側に構えていますね。 この<写真7,8,9>の過程で、コインが一直線に沿って観客の目からは右に移動することになるという点にご注目ください。 そのため、コインをもはや手にしていないことが確認できる右手と、コインを持って握りしめているように見える左手の<写真9>では、 観客はコインが左手にあると信ずることになるわけです。
写真7 |
写真8 |
写真9 |
この手法の場合にも秘密は<写真8>のタイミングにあります。
右手のコインが左手に近づいてそのコインの先が軽くにぎりかけた左手の掌に肉に当たったらば、
そのまま右手を左手に押しつけます。すると右手が持っていたコインが押される結果、コインは指先から指の中に押しこまれることになります。<写真C>
そうしたらその流れに合わせて、左手を左に動かして<写真9>まで進みますが、右手は指先に持っているコインをそのままの姿勢で持ち続けているだけで十分なのです。<写真9>の右手はまだコインを指先に持っていますが、それは観客の目には見えません。そして、後でチャンスを見てそれをフィンガ―パ―ムに変更するのは簡単でしょう。それは右手拇指のちょっとした仕事だけです。
この技法を常用している奇術家はあまり見かけませんが、大変優れた方法ですので、ぜひご研究いただきたいと思います。
まず、テーブルからコインをあげた瞬間が<写真10>です。
このコインの持ち方もあまり日常生活で用いる持ち方ではないので、両手を使いたくなるかもしれませんが、それは禁物です。
右手だけで<写真10>の姿を実現しなければなりません。そして動作の流れは<写真11>でコインの左手への手渡し、それをさらに左手が握った姿が<写真12>です。秘密の動作は<写真11>のタイミングで行います。
<写真10> |
<写真11> |
それはどういう動作かと言うと<写真10>でコインを挟み持っていた拇指と食指のうち食指のオサエを外すのです。するとまだ拇指がコインを押していますから、コインが90度回転してコインが拇指と食指に間にピタリと挟まる結果となります。この動きでコインが二本の指に挟まるのでこの技法がPinchVanishと呼ばれるようになったのでしょう。<写真D>
<写真12>では観客からコインは見えないのですが、実はそのとき右手の拇指と食指の間にコインが挟まっているのです。
写真12 |
写真D |
この技法を発明したのは日本を代表するプロ奇術師の石田天海師です。
師は1953年にSix Tricks by Tenkaiにその方法を発表しておられます。
何もケレン味のない自然な動作でコインが処理されます。
筆者はすべてのFake Passの中でこれが一か二かというくらいに優れた技法だと認めております。
J.N.HilliardやDavid Rothが強調した「残像」の活用という要素を超えている面があるのです。
天海師が活用したのは「残像」ではなくコインがキラリと光って落ちていく映像なのでした。
それではその作戦をご説明します。
<写真13>のように前項のピンチバニッシュと同様、拇指と食指でコインを挟み持つところから始まります。
繰り返しになりますが、この<写真13>の手は右手だけで作ります。左手の応援は禁物です。
<写真13>から天海師はしばしば右手首を返してコインの裏を観客に見せる動作を愛用しておられました。
その動作は必須ではありませんので、ここでは<写真13>からそのまま先に進むことにいたします。
右手のコインを左手に手渡す目的で、いままで休んでいた左手が登場しますが、トスしたコインを受けるために左手は掌を上向きにしてお椀のような形にして待ちます。
そして、右手が左手に近づきますが、右手の小指が左手の四指の指先に触るくらいまで来たところで、右手拇指を放します。
するとコインがキラリと光って左手の掌に落ちるように見えます。<写真14>
ところがこのときコインは左手に落ちるのではなく、右手の中指と薬指の第二指骨のところにパタンと倒れるだけになるのです。<写真E>が<写真14>の裏舞台を示します。
写真14 |
写真E |
ここまで来たら、左手を軽く握って少しだけ左方向に動かします。<写真15>がその結果の姿です。なお、天海師の晩年には<写真15>におけるコインの位置を<写真E>の位置ではなく、中指の先の肉に留めるフィンガーチップレストにしているのをよく拝見しました。
その方が手がさらに空らしく見えるという狙いでしたが、これはたいへん難しい技であり、効果の差がさほど大きくないので、筆者はここに解説した方法をお勧めいたします。
以上の動作で両手全体はどういう動きになるかという点がこれまでしばしば議論の対象となりました。実はこの技法を学ぶとコインを放る(Throw)ようにする人が多いのですが、筆者と一緒に天海師に師事していた吉本氏は「天海は放る動作をせず、コインを引力の任せて落とすようにしていた印象である。」と発言しています。そして、この技法をTenkai Dropと呼ぶ人もあります。筆者の記憶では天海師の動きはThrowではなくDropに近いTossという感じだったと認識しております。この辺りに興味がある方は残されている天海師の演技の映像を探してご覧になるのがいいと思います。
なお、最後に付記しますが、テーブルで演ずるクロースアップマジックではこの技法の動作は<写真13~15>で終わりでよろしいのですが、舞台やパーティーで立って演技する場合には<写真15>まで来たら、次の瞬間には右手は力を完全に抜いて、引力に任せて手を脇にブランと下げておくのが最善であるということを指摘しておきたいと思います。それが役割の終わった手の最も自然な姿です。しばしば右手を腰の高さくらいに構えたままで演技する人を見かけますが、それは不自然であり、右手が「何か持っている」という信号を無意識で発信していることになるという点にご注意いただきたいと考えます。