FISMでの反省点を活かす機会を狙っていましたが、2002年はセントルイス駐在最後の年で、アメリカでのコンテストには最後のチャンスでした。IBMにはすでに一度出場した事と、ちょうどSAMが100周年の記念大会で例年よりは面白いと考え、SAMのコンテストにチャレンジする事としました。
IBMと違って、SAMのコンテストの出場にはビデオ審査がありました。あいにく新しい手順のビデオが無かったので、黒い布を買ってきてアパートでビデオを撮影して応募しました。
100周年記念大会はSAM発祥の地ニューヨーク、会場はヒルトンホテルでした。大会のプログラムにはSAMの100年の歴史などの紹介もあり1cmを越える分厚さでした。コンベンションの初日に合わせてアメリカの郵便公社からフーディニの切手も発売されました。
さて、肝心のコンテストですが、FISMでの経験から、手順にマンモスカードのプロダクション(パームを使わない方法)を加え、BGMをティム・エリスに推薦されたスティングの曲(Shape of My Heart)に変えてのチャレンジでした。
ここでBGMについてちょっと触れておきますと、BGMには大学の3年の時からずっとベンチャーズの「10番街の殺人」を使ってきました。
私の手順は、限られた枚数のカードを如何に多く出現させたように見せるかに重点があり、左手にパスしたカードの枚数によって見せ方も時間も変わってきます。10番街の殺人では、同じようなリズムの繰り返しがたたみかける雰囲気にフィットし、演技のスピードやタイミングをあまり気にしなくてよいというのがメリットです。
たまに雰囲気を変えたくなって、過去にも3回ほどBGMの変更を試みたのですが、どうしてもしっくりこなくて断念したという経緯があります。
スティングのスローな曲に演技を合わせると演技時間が長くなり、さらにマンモスカードを入れるためには手順のどこかをカットする必要がありました。途中から曲を変えてアップテンポにする事も考えたのですが、気に入った編集ができず、結局悩んだ末に、BGMにはちょっと合わないブーメランカードをカットする事にしました。
しかし残念ながら、ブーメランカードを除いた事は、結果として大きな間違いでした。ブーメランカードはマジックではなく、私のオリジナルでも無いのですが、戻ってくるカードを帽子に受ける部分でいつも最初に盛り上がる部分です。スローなBGMで前半部分での拍手のきっかけを失った事が、その後の観客の反応にも影響したとの印象です。
もともとスローなテンポの音楽は自分の演技には合わないと感じつつも、マンモスカードがあると過信して、観客の反応の検証も行わないままコンテストの本番に望んだのですが、やっぱりぶっつけ本番はまずかったと、後から考えれば当たり前の教訓ではありました。
SAMの結果には正直ちょっと落ち込みましたが、翌月にセントルイスで開催されたミッドウエスト・マジックジュビリーのステージでは、BGMを10番街の殺人に戻し、ブーメランカードも手順に戻した結果、期待通りの反応が得られました。BGMの大事さを再認識しましたが、宿題も残りました。