“Break a leg!”は、直訳すれば「足を折れ!」というひどい言葉になりますが、ステージの出演者などを励ます独特の言い回しです。初めて言われた時は、マジック・テーブルの足に不具合でもあるかとドキッとしましたが、普通に言えばGood Luck!(グッド・ラック)です。セントルイス時代の思い出の言葉なので、このシリーズのタイトルにしてみました。出演前の海外のマジシャンに“ブレイク・ア・レッグ”って言うと、きっと笑ってウィンクしてくれると思います(ただし、間違ってもステージの後では言わないで下さいネ)。
ミリオンカードへのこだわりについては、今後もマニアックな記事を継続予定ですが、こちらのシリーズでは、マニピュレーションのマニア以外の方にも気軽に読んで頂けるような記事として、私のセントルイス時代のマジックライフの思い出などを書いてみたいと思います。
セントルイスという都市にはあまり馴染みが無い方も多いと思いますが、アメリカ中西部ミズーリ州の中心都市で、ミシシッピ川とミズーリ川の合流点にあります。ゴールドラッシュの時代には、セントルイスは西部への玄関口と言われGateway City(ゲートウェイ・シティ)の愛称があります。
95年に全米にトルネード旋風を巻き起こした野茂選手の活躍をきっかけに、イチロー選手などアメリカのメジャーリーグ(MLB)で活躍する日本人も増え、今や毎日のように日本でメジャーリーグの試合が見られるようにもなりました。
セントルイス・カージナルスのマーク・マグワイヤーや田口壮選手の活躍もあって、今ではセントルイスを知る人も増えましたが、私が初めて駐在した1994年では、ミズーリ州のセントルイスというと、「終戦の時の戦艦ミズーリでの調印は世界史で習った」とか「セントルイス・ブルースというのがあったような気がする」とか言われる程度でした。当時は「巨人の星」(漫画)のオズマの出身がセントルイスのカージナルス」などと苦しい説明したのを思い出します。
マジックに関しては、ラスベガスやロサンゼルスには敵いませんが、セントルイスは意外にマジックの歴史と伝統がある町です。世界最大のマジックの組織であるIBM(International Brotherhood of Magicians、国際奇術師同盟)の最初の支部(リング1)はセントルイスで、IBMの本部もセントルイスにありました(今はすぐ隣町のセントチャールズ)。SAM(Society of American Magicians、全米マジック協会)のセントルイス支部も一桁の8番目(Assembly 8)であり、古くからマジックが盛んな土地であった事が判ります。
セントルイスは、“ルポールの財布”のポール・ルポール、“ハーマン・カウント”のブラザー・ジョン・ハーマンなど多くの著名なマジシャンも輩出しており、かのダイバーノンが大好きであった事で有名な全米クラスのコンベンション“Midwest Magic Jubilee”(中西部の奇術の祝典)は、2年に1度セントルイスで開催されています。
このセントルイスに2回(合わせて6年半余)も仕事で駐在できた事で、私の人生が大きく変わりました。このコーナーでは、マジック以外にも多くを学んだセントルイスでの生活について紹介したいと思います。