ユホジン(2012年のFISMでアジア人初のグランプリ)以前のカーディシャンは、ある意味で私の中では想定内でした。しかしユホジンの演技は、私の具体的な目標のさらに先の現象を演じられたという、正直強烈な印象を受けました。
2016年6月18日に、そのユホジンのレクチャーがありました。
私は基本的にレクチャーには参加しないのですが、彼はレクチャーが嫌いだそうで、今回は3回目のレクチャーという事でしたので、さすがに滅多にない機会という事で参加しました。
レクチャーというよりトークショーの印象でしたが、子供時代の苦労話や問題児であった過去、マジックで身を立てるための努力、子供たちへの寄付を考えて作成したユホジンカードなど、彼の人間性のすばらしさも伝わる話でした。私はまだまだ足元にも及びませんが、彼の考え方との共通点と相違点が面白く感じたので、オリジナルを考える方には参考になるかと思い書いてみます。
まず、彼との共通点は、他の人のレクチャービデオは見ないという事でした(もちろん、その彼がDVDを販売している事との矛盾も彼自身はちゃんと知っています)。人の技術を練習してもそれはコピーであり、手の大きさや指の動きなども人によって違うので、人の技法を練習するメリットは無いというのが私の考えです。その私はユホジンのDVDを買ったのは、彼の技法を練習するためではなく、彼の考え方を知るため(と記念)です。
最終的な理想のカードマニピュレーションのアクトについての考えにおいて、ユホジンと基本的に大きな違いは無いのですが、そこへのアプローチが異なります。彼は、「テクニックをテクニックではなく魔法のように見せる事」へのこだわりがあり、そのために音楽などの演出や、ブラックアートやネタをフルに活用しています。彼はカードの出現そのものよりも、出現したカードでどのように魔法に見せられるかに知恵を絞っていると思います。
一方私は、ミリオンカードの基本へのこだわりがあり、出現したカードで不思議さを見せるのではなく、「カードの出現そのものが不思議で驚きである事」を目指しています。この場合自然なカードプロダクション(空だと思う手からの出現)が基本であり、そのために如何に空の手を醸し出すかが重要と考えており、ユホジンとの違いが私の中で明確になり、興味深く感じました。
ちなみに、今のコンテストの審査基準はユホジンの考えの方が圧倒的に有利です。私の考えは、今は亜流ですので、コンテスタントに私の考えを勧める意図はありません。ただ、私はコンテストに勝つ事が目標ではなく、自分の理想の演技を目指しているので、そのために優先度を決めて練習しています。
ユホジンとの違いの具体的な例として、ファンプロダクションで説明しましょう。新しいファンプロダクションの現象として、彼は毎回ファンの色を変える事を目指しました。これは、「バックパームを知っている人でも、ファンの色が変われば魔法に見える」という狙いだと思います。
一方私が考えるマジックは、出現したカード(の変化)が不思議なのではなく、カードの出現そのものが不思議である事です。従って、その場合に出現するカードはカード本来の白だけで十分との考えです。カードの出現が本当に不思議であれば、その色はそれほど重要ではないという考えです。
ユホジンの考えでは、カードの出し方や出したカードでの現象が大事ですが、私の考えでは、カードの捨て方とパームの雰囲気を如何に消すかが肝になります。従って、ファンの捨て方や空の手の動きにおいて、オリジナルなアイデアを沢山盛り込んでいます。
また、(私の場合)不思議さの強度には出現させる回数の多さがあり、そのためには如何に少ない枚数で行うかが非常に重要と考えます。ファンプロダクションなどは誰も真剣に追及しない技法と思いますが、まだまだ改善できるポイントが見えてきます。最近では、ちょっとしたアイデアを加えた事で10回以上のプロダクションが可能となり、基本技法であるにも関わらず、捨て方とパームした手の動かし方において、私の中ではブレイクスルーもありました。
ここで書きたかった事は、決してユホジンとの考え方の比較ではありません。コンテストでの評価は圧倒的にユホジンの方が高く、私の考えを主張する意図もありません。オリジナリティを目指す人は、自分の目指すマジックのイメージを確固たるものとし、ユホジンやルーカスといった素晴らしいマジシャンの影響は受けても、決してその後は追わず、自分は自分が信じる我が道を行く・・というスタンスが大事ではないかという事です。
今はブラックアートが大人気ですが、今後の演出ではプロジェクションマッピングなども使われると思います。
ただ、マジックの不思議さの本質は何か?と考えた場合、必ずやシンプルなスライハンドが見直される時代も来るはずというのが私の個人的な見方です。
今後も特殊なギミックや演出に依存せず、普通の照明で演じられる古典的なスライハンドマジックのルネッサンスを目指します。
それがドン・キホーテであっても悔いなしという心境です。