学生時代にコーチに教わったテージマジックの5大要素で、服装に次いで2番目に重要な音楽について書きたいと思います。ここでは、BGMについての一般論ではなく、なぜ、ベンチャーズの曲を長年使っているのかについて書きたいと思います。
全く自慢にもなりませんが、ランス・バートンの「ビバルディの四季」ほどではないにせよ、私ほどBGMを変えないマジシャンは居ないのではないかと思います。大学3年(1976年)以来、ベンチャーズの“10番街の殺人”を使っています。今のBGMのCDは、1982年に後輩の部屋でレコードからカセットテープに録音したもので、それをMD、さらにCDにダビングしたものです。1~2箇所つなぎが気になる部分はあるのですが、今までのところ音質でのクレームが無く、結局40年近く使っている事になり、私のステージマジックで使っているものではタキシードを数年以上も上回っています。
BGMと言えば、途中で曲変して、最後は曲ピタで終わるというのが一般に好まれていると思います。しかし私の場合は、ひたすら同じ曲の繰り返し・・・。まず、この点について私のこだわりを書いてみます。 まず、私がカードマニピュレーションで見せたい事は、カードのテクニックではなく、カードのプロダクションであり、それこそミリオン(百万)のカードが出現したように見せる事です。 私の手順では、ファンプロダクションや一枚だしではブレイクする枚数によって出現回数も変わるという宿命にあります。従って音楽に合わせるのは難しいだけでなく、そのためにMaxの見せ方ができないのは不本意という事が、曲ピタにこだわらない理由です。
BGMで、なぜ曲変をするのでしょうか?それは、演技のコンテンツを変えて雰囲気を変えるという事ではないかと思います。しかし、「カードの出現」にこだわった場合、演技の雰囲気や質を変える必要性を感じません。私は、信じられない量が出現したと感じてもらうために一番重要な事は、“畳み掛け”と思います。即ち、雰囲気も曲も変えず、これでもか、これでもか・・とカードが出現して飽きさせない(鳥肌が立つ)というのが一番の理想ではないかと思います。 誤解の無いように書いておきますが、曲変して変化を見せるルーティンを否定するのではなく、ミリオンカードで「出現させるカードの数の印象」にこだわった場合には、曲を変えない方が良いという違った考え方もあるという事をお知らせしたかったのです。
ベンチャーズの「10番街の殺人」の良いところは、テンポは比較的早いのですが、演技のテンポがゆっくりでもあまり違和感が無い事です。そして繰り返しのフレーズが意外に心に残る事です。ひとつ印象に残っているエピソードは、セントルイスでのステージの後で、あるプロマジシャンのお父さんが、終演後に“10番街の殺人”を口ずさみながら会場を出て来られた事です。目が合うとウィンクされました。
私は音楽のセンスが悪いのか、マジックで演技の印象は強くてもBGMの印象は少ないのですが、ランス・バートンの鳩を思い出す時、必ずビバルディの四季が頭の中で流れています。自分の練習の時も頭の中ではベンチャーズが流れています。また、「ベンチャーズを聞いて、君のマジックを思い出した」と言って頂いた事も何度もあるので、ベストではないにせよ、悪い曲ではないと思っています。
ちなみにBGMの最後は、歩いて舞台の袖に下がる時にフェードアウトとしています。すぐに暗転せず、余韻を残すという効果で、演技時間に手順を合わせなくて良いという以外のメリットがあります。
BGMの自説だけで終わってはいけないので、一般のマジックでのBGMについての考えも最後に書いておきます。
その時代の流行をBGMに取り入れるのも良いと思いますが、大きな欠点は長く使えないという事です。ベンチャーズはスタンダード的な曲なので流行遅れ感が無いのもポイントです。余談ですが、セントルイス駐在時代には、化石をいくつも買って楽しんでいました。数が増えてからは、新しい化石を買うと飽きた化石は帰国時のお土産にしました。化石の良いのは、私が十分楽しんだ後にプレゼントしても、決して「新品じゃない」というクレームがない事です(笑)。
歌詞付きのBGMについての意見を求められる事が多いので、私の考えを書いておきますと、歌詞がマジックの現象にマッチしていれば良いと思いますが、それ以外は歌詞が邪魔になるので損かと思います。また、どうしても軽い印象で、魂に響くような演技にはならないと思います。私はクロースアップでのダジャレも大好きで、決して軽いマジックを否定する意図はないのですが、ステージで本当に感動を与えたいなら、よほど演技にマッチしない限りは、歌詞は無い方が良いと思います。
次回は照明について書いてみます。