土屋理義

マジックグッズ・コレクション
第1回

チェスの自動人形の銅版画(1)

 私の所有する様々なマジックグッズをもとにして、マジックの歴史やマジシャンのエピソードをご紹介していきたいと思います。初回はチェスの自動人形の19世紀の銅版画です。

チェスの自動人形の銅版画
チェスの自動人形の銅版画

 16世紀から登場した機械仕掛けの自動人形の中で、もっとも人気のあったのはハンガリーのケンペレン男爵が発明した「トルコ人(The Turk)」というチェス指しでしょう。オーストリアの女帝マリア・テレサに仕えたケンペレンは1769年、この人形を宮廷で人間と対戦させて、人々をあっと驚かせました。トルコ帽をかぶり口ひげをはやしたこの人形は、実際の人間よりやや大きく、その前にはチェスの駒と盤が乗ったキャビネットが置かれています。右手は盤の上に置かれ、左手はいかにも余裕たっぷりに長いタバコのパイプを握っています。人形から少し離れた両隣りには、ろうそくが2本灯され、妖しげな雰囲気を作っています。

 男爵は人形の前のキャビネットの左側の扉を開けます。中は歯車やシリンダー、レバーなどの機械でいっぱいです。それを閉めると今度は右側の扉を開けます。バネや細長い鉄の支柱などが見えます。しかも両サイドとも裏側から火のついたろうそくを動かすのが見えるため、どこにも人が隠れるスペースなど無いように思われます。
 まず人形が先手を打って、左手で駒をつまみ上げ盤に置きます(長いタバコのパイプは抜かれています)。挑戦者が次の手を打ちます。必要な場合の駒の取り除きは演者が行います。このようにして試合が進みますが、人形が敗れることはほとんどありませんでした。

 1804年に男爵が亡くなると、ドイツ人の興行師メルツェルが男爵の息子から人形を買い取ります。メルツェルはもともとは音楽家で、楽器の演奏で一定のリズムをきざむ「メトロノーム」の発明者としても有名です。彼はチェスの自動人形と共に、ヨーロッパやアメリカなどを巡業し、各地で大評判となります。

ロンドン公演時の宣伝ちらし
ロンドン公演時の宣伝ちらし

 1809年にはかの有名なナポレオンと対戦しています。ナポレオンは禁じ手を使いましたが、人形はそれを見破り再三注意しました。そして人形が勝ったため、ナポレオンは大変不機嫌になったといわれています。
 しかしいつも順調というわけではなく、1827年のアメリカ・ボルチモアでは、公演が終わり楽屋で人形を片付けている時に、物陰に隠れていた二人の少年が人形の中からシャツの腕をまくりあげた男が出てくるのを目撃してしまいます。早速当地の新聞に「チェス・プレーヤー発見」の記事が掲載されると、メルツェルはその地での公演を取り止めざるをえませんでした。

 中に隠れた助手のチェス指しはイギリス人、フランス人など様々でしたが、最後の「チェス名人」であるフランス・アルザス地方出身のシュランバーガーは、深酒をしない限り、次々と試合に勝っていきました。ブランデーを飲みすぎキャビネットの中で寝込んだ彼を起こすために、メルツェルがキャビネットの外側を大きく叩かなければならないことも度々でした。それでも目を覚まさない時には、メルツェルは観客に「今日は機械の調子が悪い」と弁解して、キャビネットを幕の後ろに移動させるのでした。

                   第2回