世に演出家・監督を肩書きとする方は数多存在しますが、その中で“マジックのセンスがある演出家”“マジックを演出したらきっと適任であろう監督”は誰かと問われたなら、皆さんならどなたを思い浮かべますか?
過去の作品に照らして、私は常々ロバート・ゼメキスとブライアン・デ・パルマの二人を挙げてきました。現在までのところゼメキスとマジックとの関連はありませんので、そこで今回はもう一人の、ブライアン・デ・パルマがマジックを題材に取り上げた結果を御報告しましょう。(De Palmaのカタカナ表記については数種ありますが、引用文を除き、ここでは通例に従いデ・パルマで統一します)
フランスの映画研究者ローラン・ブーズロウは、著書「デ・パーマ・カット」の中で「ブライアン・デ・パーマは手品のタネを明かしてみせても、なおかつ観客を楽しませることのできる奇術師のようである」と記しています(同書150ページ)。
デ・パルマを一言で表現すれば、私は“映像のマニピュレイター”だと思います。特に初期の「悪魔のシスター」「ファントム・オブ・パラダイス」等では、持てる限りありとあらゆるテクニックを一本の作品の中に注ぎ込み、さながら映像技術博覧会の様相を呈していました。
「悪魔のシスター」 クライテリオン版DVDパッケージ |
「ファントム・オブ・パラダイス」 私の最も好きなデ・パルマ作品 |
それが作品のテーマやストーリー、人物像を表現するために的確に機能すると、「キャリー」のような誰もが認める傑作として結実するのですが、時として“どうです、凄いテクニックでしょう”という作者の思いが作品そのものを上回って過剰にスクリーンから溢れ出してしまい、映像技術等全く知らない観客にまで“何だかずいぶん凝った画面だったけど、意味はよく分からなかったなぁ…”という感想を抱かせてしまう結果となります(そこが、ファンには堪らなく愛しいわけですが…)。
あるいはデ・パルマは、全ての観客が自分と同様に、常に集中して真剣にスクリーンと対峙しているのだ、と信じているのかもしれません(現実には大半の観客は、特にメジャーの娯楽大作では、デートの途中隣に座る彼女を気にしながら「ここを出たら何を食べようか…」等と考えながら、ぼんやりスクリーンを眺めているのですが)。私が“映像のマニピュレイター”と呼ぶ所以です。
またデ・パルマの初期作品には、「悪魔のシスター」「愛のメモリー」「殺しのドレス」「ミッドナイトクロス」「ボディ・ダブル」と、いわゆるミステリー・サスペンスジャンルの作品が並びます。それらはいずれも、事件の意外な真相・思いがけない真犯人を、伏線を充分に張り巡らせた上ラストで全て回収して提示するという、ミステリーとしてまことに端正な仕上がりです。同ジャンルのB級作品にありがちな、意味不明な描写・逆に説明不足なシーンがほとんど見当たりません。観客の目を真相から逸らせるためのミスディレクション、そしてカメラワーク、音楽の使い方も見事で、正に“タネ明かしをしても観客を楽しませられる奇術師”です。非常に論理的な演出家と言えます(17歳の時には論文「微分方程式の解法へのサイバネティックスの応用」が科学博で優勝、コロンビア大学にて物理学を専攻しています。
父親はブライアンが映画監督になることに大反対でした)。この一貫した論理性こそ、感性に負うことの多い他の舞台芸術と異なり、マジックの演出に一番必要とされる要素だと私は思います。但し例えば、主演のトム・クルーズ直々の指名で監督に登板した「ミッション:インポッシブル」
等は、デ・パルマの知能指数が平均的観客のそれを遥かに上回ってしまい、部分部分の面白さのみ印象に残るが全体のプロットを把握するのが困難な、失敗作となってしまいました。(あくまでも私見です。また、クルーズの現場での権限&顕示欲が強かった可能性もあります。クルーズは劇中、ストーリーの流れとは無関係に突然CDディスクをマジックで消してみせます)
「ミッション:インポッシブル」
|
さて、そんなデ・パルマですが、1966年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)における、オプ・アートを主とする錯視芸術の展覧会を記録したドキュメンタリー「ザ・レスポンシブ・アイ(B.R. 本邦にてブルーレイ・ソフトとして初公開された作品はこう記します。以下同)」を監督しています。50年以上にわたって本邦未公開でしたが、「愛のメモリー」40周年ブルーレイの特典映像として、無事初お目見えしました。
長編劇映画に関しては、「悪魔のシスター」でサスペンスの有望新人・ヒッチコックの正統な後継者として華々しく本邦劇場デビューする以前に、何本かのコメディに挑戦しています。が、それらは皆日本ではVHSで一度発売されたきりの作品ばかりです。中でもその最後の作品は、デ・パルマ初のメジャー・スタジオでの作品にもかかわらず、日本では劇場・テレビでもソフトとしても全く未公開のままです。そしてそれが実は、マジシャンを主役とした映画なのです。私が長いこと、何とか一度観賞したいと切望した作品です。
タイトルは、‘Get to Know Your Rabbit’。
1970年の作品ですが二年間お蔵入りし、アメリカでは72年になって小規模公開されました(理由は後程御説明致します)。
会社の歯車としての自分に疑問を感じ、上司ともうまくいかない主人公は一念発起して退社し、マジシャンに転職するが鳴かず飛ばず。そんな時落ちぶれた元上司と偶然再会し、彼をマネージャーにしてコンビを組むとこれが成功。しかしやがて、収益にしか興味のない上司に幻滅、これでは結局、元のサラリーマン時代と同じではないかと疑問を感じ…というストーリーです。タイトルは、マジックに使用する兎を自宅に持ち帰った際、彼女に理由を問われ「まずは兎に馴れろ、ってマジックの先生に教わってね」と返答するシーンに由来します。この映画全体のテーマをも内包していることは、もちろん論を待ちません。
退社を決意した主人公が弟子入りするそのマジックの先生役がオーソン・ウェルズ。
火星人襲来のラジオ放送で有名ですが、一番の趣味はマジックでフーディーニとも親交がありました(本人談)。「007 カジノ・ロワイヤル」「オーソン・ウェルズのフェイク」では、ストーリーの進行とはほとんど関係なく、何故か突然マジックを演じるシーンがありました。また、自らイリュージョンチームを結成し、当時一番人気の女優、リタ・ヘイワースをアシスタントに米軍慰問をした経験もあります。「地球を征服する魔術師!デビット・カパーフィルドの奇跡(TVシリーズ)」(オリジナルのカッパーフィールド特番は60分枠、日本テレビの木曜スペシャルは90分枠だったため、特番の1と2を合わせて一本に編集したもの。アメリカでは78&79年、日本では80年放映)でも、冒頭のM.C.だけではなく編中自らマジックを演じていました(日本での放映ではM.C.部分はカット。マジックは放映されました。ちなみに演目はブックテスト)。
カッパーフィールドは、最も好きな映画にウェルズ監督・主演の「市民ケーン」を挙げており、後年ウェルズの映像を用いたカード当ても演じています(リチャード・ヒンバーが自分用に撮影した映像の権利を、カッパーフィールドが買い取って舞台にかけた)。
また、ダグ・ヘニング特番のやはり第一弾のM.C.はジーン・ケリーでしたが、これも実は最初ウェルズにオファーがあったもののスケジュールが合わず、その代演でした。カッパーフィールドとヘニングがまず一番に司会を依頼するくらいですから、よほど信頼が厚かったのでしょう。
気になるマジックの部分ですが、まず映画のマジック・アドバイザーは故ハリー・ブラックストーンJr.。 浮かぶ電球(これはウディ・アレンが戯曲化しました。日本版では高橋一生さんも出演しています)で有名な親子二代にわたる一流イリュージョニストであり、私も一度だけ生で演技を拝見したことがあります。
タグ・ヘニング
|
期待されたデ・パルマとマジックとの相性について結論を申し上げると、意外にも開巻早々、残念ながらデ・パルマにはマジック・トリックそのものに対する興味があまりないことが露見します。例えば、ウェルズのマジック教室では「スクエア・サークル」(重なった大小二本の筒を交互に改め、中から品物を取り出す)を習得しますが、このマジックは改めの過程をきちんと踏まないと不思議さは全くありません。また、何度かトップハットから兎を取り出すシーンがありますが、ハットの中を改める描写はなく、いきなり取り出します(これらはもしかすると、後述する撮影現場でのトラブルが影響しているのかもしれません。主演俳優がマジックの練習を拒否した可能性も考えられます)。
監督の名誉のために申し添えると、これらのシーンにマジックの不思議さは必要とされていません。観客の興味はあくまで劇(ドラマ)にあり、マジックショーを観に来たのではないのです。つまりここで現象が際立つとドラマの流れを遮り、観客の登場人物への感情移入を妨げる恐れがあります。従って、これは全く的確な演出である、と言えます。そのことは充分承知したうえで、ここではあくまでマジシャンとしての観点からのみ論を進めてゆきます。
唯一面白く感じたのは、主人公がヒロインと出会う重要な場面である、ステージショーでエスケープを演じるシーンです。客席より女性客(「卒業」「明日に向って撃て!」のキャサリーン・ロス)を上げ、マジシャンと二人で布袋に入ります。すると布袋がもぞもぞと動き出し、見かねた女性の彼氏が客席より登壇、袋に飛びかかると、マジシャンと女性は無事脱出、代わりに彼氏が布袋に閉じ込められてしまいます。残念ながら映像では編集トリックですが、プロットそのものは現代のステージでもそのまま通用する優れたものです。やはりプロの脚本家は優秀で、全米作家組合の最優秀コメディ脚本賞にノミネートされただけのことはあります。
映画自体の感想についても申し添えておきましょう。前半、真俯瞰での長い移動ショットや横移動往復のワンシーン・ワンカット、得意のスプリット・スクリーン(分割画面)、回想シーンのモノクロ&駒落とし等のつるべ打ちに、後のデ・パルマ演出の萌芽が見られますが、全体としては血気盛んな新人監督の習作、といった出来です。
実は、映画がそのような結果に終わったのには理由があります。
主演俳優はデ・パルマと全く反りが合わず、撮影をボイコットしたこともありました。更にスタジオ(製作会社)は映画の結末を気に入らず、別のスタッフを編成して全く異なるエンディングに差し替えました。本来の結末は、“主人公のマジシャンはやっとテレビ出演を果たすが、ショーの中で兎を殺し、それが世間の非難を浴びて芸能界を干される。しかし兎が死んだのは実はトリックで、実際には殺されてはいなかった。全ては、拝金主義に絶望した主人公の策略だった”という、ほろ苦い後味の残るものだったそうです。
…1970年、主役の有名人やハリウッドの大会社にたった一人で刃向かった30歳のデ・パルマでしたが(そのためウェルズとは意気投合、それが心の支えとなりました)、その後デ・パルマは、テクニックの誇示を控え自己表現を抑えて体制に順応し、徐々に作品の規模を拡大、職人娯楽監督としてハリウッドの巨匠にまで登り詰めます。少なくとも私にはそう映ります。それは、若き日の自分自身とだけでなく、己れのキャリア初期に撮ったコメディの主人公とも、ちょうど正反対の生き方でした。人が二通りの人生を全うできない以上、その選択が果たして正しかったのかどうなのか、それは誰にも分かりません。
そうして地位と名声を築いた後、2000年のSF大作「ミッション・トゥ・マーズ」で60歳にして辛酸を舐めた以降位から、言い換えれば会社員であれば定年を迎える位から、再びじっくりと腰を落ち着けて作品に取り組んでいるように見受けられます。
まだ世間から認められる以前に撮ったこの失敗作を今もし観賞したなら、果たして現在80歳のデ・パルマはどんな感慨を抱くのでしょうか…?
私にはそれが、とても気になるのです。
※参考文献:
「デ・パーマ・カット」ローラン・ブーズロウ著
今野雄二訳(キネマ旬報社)
‘The Psychotronic Encyclopedia of Film’(Michael Weldon)
※参考画像:
‘Get to Know Your Rabbit’(Warner archive collection DVD-R)
(なお、実は某サイトでの視聴も可能ですが、製作会社より正規盤ソフトが発売されている以上違法アップロードである可能性が高く、お勧めは致しません)
※画像出典:
IMDb(Internet Movie Database)
English Language-Wikipedia