FFFF(Fechter’s Finger Flicking Frolic、略して4F)の50回記念大会と、その後に20年ぶりにセントルイスを訪問しました。FFFFについては以前にミリオンカードのコラムで紹介しましたが、世界でもトップクラスのクロースアップに特化したコンベンションです。参加者は完全招待制の250名限定で、メインゲスト(ゲストオブオナー)以外は全員自費での参加です。それでもFISM入賞者が10数人以上参加するようなコンベンションです。2020年の大会がCOVID-19で延期となり3年ぶりの開催でした。そのFFFFの後に、最近体調が優れないという噂を聞いているHarry Montiに会うために20年ぶりにセントルイスを訪問しました。
第50回の記念の大会ですが、立ち上げ時のメンバーで主催者(President)のObie O’Brienが2年前に亡くなり、Joan Caesar(前Executive Assistant)とGlenn Brown(前Board of Director)の二人がExective Directorとして引き継ぎ2023年4月26~30日の日程で開催されました。17ヶ国からの参加でしたが、日本人は2名だけ、意外にも韓国からは誰も参加しないという大会でした。
今までのFFFFと大きく変わったのは、例年の会場であったBatavia(NY州)のQuality Innが改装のために使えず、Buffalo空港の近くのM Hotel(Millennium Hotel)が会場になった事です。ホテルの空港への無料シャトルサービスがある事、徒歩圏にレストランがある事など、参加者の利便性から来年以降もM Hotelが会場になる予定です。
プログラムは事前にpdfで送られてくるのですが、ちょっと嬉しかったのは初参加の時の私の写真が2か所で使って頂いている事です。全体の傾向として、私が初参加した2016年は9ステージ、2018年は8ステージ、そして2023年は7ステージとなぜかショーの数は減少傾向でした。
以前の大会では、ほとんどの演者のチェック項目はテーブルやマイクを使うかどうか位で、事前に打ち合わせをする人はほとんど居ませんでした。しかし、今回はクロースアップでも、糸やブラックアート、音楽などを使った演出が多く、毎朝キューシートの確認時間が設けられ、多くのマジシャンがスタッフと確認作業を行っていました。
50thという事で、今年は特にお土産グッズが充実していました。オリジナルのショルダーバック、オリジナルポロシャツ、記念のカードデック、記念コイン(1$サイズのシルバーとカッパー色)、マジック解説DVD3枚、マジック商品、FFFFのポスター、ロゴ入り水筒など。
記念のポロシャツは事前にサイズを聞かれていたので、Mをお願いし、当日も「SatoruはMね」と渡されたのがなんとXL。しかし、着られそうなサイズなので交換もしませんでした。後で聞くと全部のサイズが表示より一回りは小さく、貰っても着られない人が続出したそうで、いかにもアメリカ的な話と思いました。
黒のポロシャツの袖にFFFF50 のロゴ、背中には歴代のゲストオブオナーの記録があり、FFFFがゲストオブオナーを非常に大事にしている事が感じられました。1990 Shigeo Takagi、2007 Ton Onosakaの記載があります。
50回記念デックはフェニックス社製、500個限定で通し番号があり、参加者(250名)に配布されました。バックは世界地図が描かれており、カードによってバックの地図が違っているという凝りようですが、その目的(使用法)は不明です。
レジストレーションの時にはデックは販売しないとの事でしたが、FFFFとフェニックスのブースで販売され(10$)、今回は非常にラッキーな事に、30、50、200、300、500番のデックをゲットする事ができました。決してカードを買い漁った訳ではなく、30番は受付時に一人1デックのところをお土産に2デック買いたいと言うと、販売予定はないが特別にとGlennが3デック渡してくれた中にあり、300番と500番はたまたま売り場でゲット、200番はフェニックスのブースで分けて頂き、50番は私のコレクションを知ったGlennがプレゼントしてくれました。もの凄くラッキーで大変な思い出になりました。
ついでに言えば、カナダ人のGlennはカナダ名産のメープルシロップのお土産までくれました。
余談ですが、Dan Garrettさんもブースを出しており、「君は信用しないかもしれないが、実は俺も昔はマニピュレーションもやってたんだよ。今はもう出来ないけど・・」と言って、なんとそのレクチャーノートをプレゼントしてくれました。最近突然にDanさんの訃報に接し、心からご冥福をお祈り申し上げます。
FFFFには何か参加者の仲間意識のようなものがあり、特に演技後は多くの人が声をかけてくれました。バンケットでは初対面の人からビールをおごって頂いたり、レストランでグループに入れてもらったり、とにかく皆さんフレンドリーで、クロースアップを披露しなくても孤独感も感じません。
FFFFに参加するには、会員2名の推薦が必要で、一般的にはビデオを送って審査してもらう形です。250名限定なので、特に北米では大勢がウェイティングリストだそうです。私は台湾のTMAでのコンテスト演技を当時の主催者のObieさんが気に入ってくれ、推薦頂いて参加したのが2016年でした。
FFFFでは初参加のメンバーは必ず演技が要求され、Bachelor(学士)の称号が貰えます。その演技が好評なら翌年以降で2回目の演技機会が与えられてMaster(修士)の称号、さらに3回演じるとDoctorate(博士Doctor of Magic)の称号が得られます。以前はPh.D.でしたが、今回はDoctorateに呼称変更されていました。
私は2018年に次いで今回が3回目なので、なんとクロースアップのFFFFで、ステージアクトのミリオンカード3回で博士号を頂きました。FFFFに出演したくてもできない人も居る中でかなり特殊なケースと思いますが、Obieから連続はダメだけど隔年ならOKとしてもらったお陰です。ちなみに今回のFFFFでのステージアクトは、Juliana Chenのリンキングリングと私の2名だけでした。
FFFFのショーの特徴として、計画性のある遊び心を感じます。今回も、Michael Dardantさんは本名でのMCとは別に、Juicy Starlingという名の女性に扮したMCで別のショーで登場し、Shawn Farquharさんらを色っぽくあしらって大ウケでした。
私はJuicyがMichaelの女装とは全く気づかず、さらにそれがShawnの構想であり、Juicyの名付け親はDan Garrettさんだったなど、チームワークの作品であった事を後から知りました。写真は左センターがMichaelで右がJuicyです(笑)。
モントリオールのチームも例年ユニークな芸を披露しており、今回は2人が床に寝転がっての演技を上から撮って、重力に逆らうあり得ない動きのマジック?として、Liveでスクリーンに投影するというお笑い企画もありました。
演技の写真はMike MaioneさんがFBにアップしてくれたのをダウンロードしました。最前列の方の頭が見えるので距離感がイメージできると思います。客席はすり鉢状で左右の角度も180度近い厳しさですが、皆さん暖かい目で見て頂け、非常に大きな反応を頂きました。私のマンモスカードのパートのBGMはマリリンモンローのDiamonds are a Girl’s Best Friendで、Diamonds!Diamonds!という歌詞に合わせてダイヤのカードのファンを出現させます。しかし、残念ながら国内では誰も気づいてもらえないという事で、目立つダイヤのエースにしました。もうひとつダイヤが目立つ工夫をしましたが、それは演技で見て頂ければと思います。Diamonds!の歌詞で歓声があがったので、これで長年の悩みは解決できました。
このようなFFFFに招待されたのも、考えてみればすべてのきっかけがセントルイスでした。1994年にセントルイスに赴任し、最初のアトランタ出張の食品展示会で企業ブースの宣伝マジックをやっていたのが、隣のイリノイ州のトレードショーマジシャンとして有名であったBud Dietrichさんで、後にBudの金婚式のパーティでパーフォーマンスをさせて頂きMagic Christianなどを紹介してくれたのは良い思い出です。そのBudがセントルイスのIBM、SAMのメンバーを紹介してくれたのが、私のアメリカでのマジックライフの始まりでした。特にお世話になったのがHarry Montiさんで、セントルイスで隔年に開催される全米レベルのコンベンションであるMidwest Magic Jubileeに3回出演させてもらっただけでなく、コンテストへのチャレンジを勧められ、HarryがSAMのNational Presidentだった時に、Marryの推薦でFISM2000(リスボン)にも出場できました。
私のコンテストへの挑戦は帰国後も続き、日本海のコンテストで銀メダルの私の演技を見たYoYoさんから台湾のTMAのコンテストに招待して頂き、そのTMAで3位だった演技を見たObieさんがFFFFに招待してくれたという流れでした。結局、セントルイスでHarry Montiらに出会えた事で、私のマジック人生が大きく変わりました。コンテストにチャレンジする事がなければ、学生時代のままのマジックを趣味とする平凡な人間で終わっていたと思います。
最近は持病の心臓疾患で体調が優れないと聞いていたので、FFFFの翌日に昔馴染みのRandy Kalinさんにお願いしてHarryとTrudy Monti夫妻との夕食会をセントルイスでアレンジ頂きました。Harryとは2016年のFFFF以来でした。当日は夕方まで時間があったので、セントルイスのダウンタウンを訪れ、20年ぶりのゲートウェイアーチやミシシッピ川、新しいブッシュスタジアムなども見て、ちょっと懐かしくて感動しました。
Harryは車椅子生活でしたが、頭はしっかりしていて、懐かしい話で盛り上がりました。
FFFFがユニークなのは撮影が自由な事で、私の演技をイタリアの友人が勝手にスマホで撮って送ってくれていたので、皆さんに今の手順の演技を映像で見て頂く事ができました。
帰国する最終日は午後の便だったので、セントルイス駐在時代にお世話になった奥さん2人とご子息とのブランチ。その前に駐在時代に住んでいたChesterfieldのタウンハウスに立ち寄りました。左が最初の駐在、右は2回目の駐在でのタウンハウスで、なんと20年前と全く同じでちょっと感動しました。
Chesterfieldはセントルイス郡の西に位置し、セントルイス市のベッドタウンでもあり、企業のオフィスも多い市です。Chesterfield の街並みは、大きなモールが出来た事とファイザーの巨大な研究所が建設されていた事を除けばほとんど昔の記憶のままでした。本当に懐かしく、良い思い出になりました。
今回の投稿は個人的な思い出話のような内容で恐縮ですが、ミリオンカードしかできない者がクロースアップのFFFFでPh.D.を授与されるなど、人生何があるかわかりません。一芸へのこだわりと、人との出会やご縁のお蔭と思います。
Obie O’Brienさんのご冥福、Harry Montiさんご夫婦のご健勝を心からお祈りしつつ、このセントルイスの連載を閉じたいと思います。